料亭『百川』の落語
前半で百川の説明があり、後半実際に、三遊亭吉窓師匠が高座をしてくださる。
前回は、「崇徳院」だったので鎌倉殿にからめて説明もたくさんあった。今回はどうするのかな〜と思っていたら、百川に出てくるところの、略図を書いてくださり説明。わかりやすかった。
田舎から出てきた、初めて奉公する人の方言の聞き間違えで笑いを誘う
主人家の抱え人→→→→→四神剣の掛け合い人
常磐津の歌女文字(かめもじ)→→→→→鴨池玄林(かもじげんりん)
と聞き間違える。
百川は現在の福富神社
田舎出の百兵衛さん、葭町(よしちょう)の桂庵(けいあん)千束屋(ちづかや)の紹介で浮世小路の百川楼に求職に来ました。(1図)
百兵衛さん、きたばかりなので地理もわからないまま、長谷川町三光新道の常磐津歌女文字を探すも間違えて鴨池玄林という外科のお医者さんを連れてきてしまう。(2図 拡大図)
すぐ近くに旧吉原がありました。この時代はすでに浅草寺裏に引っ越しています。
地図で確認すると、歩いてすぐの場所、百兵衛さん迷ったことでしょうw
祭りの際に四神剣(旗)を持ち回りに次の町に送るらしいが、ここの町内の人は四神旗を質に入れて遊んでしまったらしい。
百川がペリー来航時饗応した。武州横浜於応接所饗応之図 横浜図書館 ↓↓↓↓↓
楽しい講座でございます
帰りは神田から秋葉まで歩きました。