とうとう最終回
治済をのせた行列が阿波の孤島に向けて歩いている
治済が用を足したいと、外に出る場面から始まる 治済はお付きの者を刺して 海(河)へ走り込む そこへ雷
「待っておれよ、傀儡ども」(良く聞き取れなかった)
治済の替え玉である斎藤十郎兵衛と蔦重が 治済の屋敷の場面
あの方が雷に打たれて命を落とされたと報告 そばには奇妙な髷を結った人物がいたと
妙な髷は源内先生だろう でーーー 治済亡くなちゃうの?
十郎兵衛の死後どうするのよっ!(史実では十郎兵衛より治済の方が長生き)
お話的には治済がいない方が勧めやすいのでしょう
衝撃的な場面で始まりました
オープニングロールは現れない こればラストになるのだろうと思うのでありました
完成7年正月
歌麿はすっかり蔦重や”てい”との葛藤から抜け出せた様子
この後も”てい”は、何度も感謝をこめてお辞儀をする場場面があるが、お辞儀が美しい
心のこもったお辞儀でございました
長谷川平蔵からの文で、とある籠屋の前
二人で話をする、駕籠かきたちが、黄表紙を読む どうも籠屋の女将が本好き そして女将は子供にも恵まれ幸せな暮らしをしているらしい
顔こそ出てこなかったが、花魁だった瀬川であろう
長谷川平蔵はゴホゴホ席をしている 史実では寛政7年7月に没
蔦重は地本問屋に加え書物問屋の株もちゃっかり取得していた
本居宣長の元 伊勢へ 江戸出版依頼に出かける
今回だけの出演 本居宣長 この役者さんなんでもできるな〜本居宣長先生に見えるもん
儒学は すべき・なすべき・こうあるべきという 政にはうってつけの内容
「生まくるもの、滅びゆくこと 喜び悲しみ 善も悪ですら もののあわれ」を説く和学を江戸に広めたいと、松平定信の文を見せてお願いする
定信に黄表紙などを送り、本居先生に接触するために文までゲットしていた さすが蔦重手回しが良い
寛政7年に本居宣長の「玉勝間」を蔦屋より出版

平蔵から岡場所にけ警動が発せられることを聞き 吉原の親父様たちへ伝えに行く蔦重
蔦重は吉原の定書を作りお上のお墨付きをもらうことを考える
寛政8年 八十一ヶ条の新吉原町定書を作成 お上に提出
吉原で親父様たちと話しその後 蔦重倒れる
立とうとしても、立てない
江戸わずらいの 「かっけ」であることがわかった蔦重
「かっけ」で一儲け 病気も商売に結びつけようとするが、おていさんに、人の生死を商いにするのは、罰当たりと諌められる
ここから 蔦重は絵師・戯作者・狂歌師たちに望みを伝え 皆 頼んだ仕事を快諾してく
「死んだ後 こう言われてえんです あいつは本を作り続けた 死の間際まで 書を以て世を耕し続けたって・・・」
馬琴は長編の読本
一九は江戸に縛られない誰もが笑える黄表紙
北尾政演は諸国巡りの話
北尾重政 黄表紙全ての絵付け
大田南畝は狂歌集 歳旦狂歌集
勝川春朗 狂歌集の景色の絵 音を頼りに
朋誠堂喜三二には 蔦重の黄表紙の手伝い ↓↓↓↓↓↓↓↓
歌麿が、 山姥と金太郎の絵を持って蔦重を訪れる
山姥は母で金太郎は歌麿自身だと言う
すっかりトラウマから解き放たれた様子
歌麿「この先、見たかねえか?」
蔦重「見てえ」
↓に続く
山姥と金太郎・盃」を見せに来た 後に蔦屋から出版
刊行されたのは蔦重が亡くなった後、二代目蔦重の時です。初代蔦重は摺り上がった山姥と金太郎の絵を見ていなかった(太田記念美術館より)

12月12日(金)に古本市で、別の山姥と金太郎の錦絵を見つけた、歌麿筆とはあったけれど、版元の印がなかったので、やめときました。
寛政9年
正月 主人は病気を餌に本を売りまくる
やつれた姿で耕書堂で本を売る蔦重
皐月 6日
拍子木の音 九郎助稲荷が現れ 今日午の刻にお迎えに来ると告げられる
合図は拍子木だと

みの吉が 蔦重が午の刻にお稲荷さんが迎えに来ると 皆に伝えるも、誰も尋ねにこない ていと二人きりの最後の静かな会話
蔦重が「2代目でも決めますか?」「仕事の頼み先は?」「通夜は?」ていは戒名 墓碑銘まで全て準備を整えていた 現代で言う「出来る女」のおていさん
お寺でていの言った言葉 「屑屋に出せば、本もただの屑だけど 読む人がいりゃあ 本も本望 本屋も本懐」
「陶朱公のようにように生きれば良い」
蔦重にとっては忘れられないプロポーズの時の言葉
ちっとは陶朱公のように生きられたかなあ
苦しみ始る 蔦屋重三郎
ゆかりの人々が集まり出す
午の刻を知らせる鐘の音が響く
蔦重は「ありがた山のかん・・・」と言いながら息絶える
吉原の両親 親父様たちも集まる
大田南畝 「呼び戻すぞ!」
監視の目があり家を出られない 宿屋飯盛は家で墓碑銘を書き 屁踊りをする
呼び戻されたのか?蔦重は目を開け
「拍子木、聞こえねえんだけど・・・」
一同「へっ」(屁?)
拍子木が鳴る
オープニングロールがラストになりました
おおトリは 蔦重の養父 駿河屋市右衛門
宿屋飯盛の書いた 墓碑銘 現代語訳

べらぼう 1年間 頑張りました〜
3年前から蔦屋重三郎について調べ、写楽について調べ ドラマに挑みましたが、結局は何の役にも立たなかった
それにしても 良く出来ているドラマでした
「蔦重栄華乃夢噺」 史実とフィクションを織り交ぜながら楽しませてもらいました
軸となる出版物やエピソードは史実が元となることが多く、正に栄華乃夢噺
一橋治済の入れ替えには驚きました
美しかった瀬川 かっこよかった田沼意次 源内さんはもう安田顕で定着しました
文字で吉原生まれ 吉原に馴染みのある蔦重であったことは知っていましたが、文字で知るのと映像で見るのとでは大違い
これほど、吉原との関わりがあったのだと 思い知りました
時代が進むにつれ、治済が替え玉だったとネットでは真実のように定着してしまうのではないでしょうか?
山東京伝は魅力的でした 馬琴は役者がちと違うか? おていさん良かった 蔦重は国宝やりながら大変だったろうに・・・
あまり知られていない、蔦屋重三郎をここまで作り上げ認知させた「べらぼう」
エンタメの世界で活躍するお笑い芸人を多様(賛否両論)
もっともっと色々ありますが 拍子木を打ちたいと思います
ありがた山でございました



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