べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜32回「新之助の義」

田沼意次 処罰・粛清・復帰・裏の老中首座

天明6年
8月田沼意次老中罷免
9月将軍 家治没
11月 11代家斉 14歳 将軍職につく (史実)

意次は老中を辞職する(ドラマでは将軍家治没後 辞職した)  11代将軍家斉 14歳

徳川御三家 (尾張・徳川宗睦 紀伊・徳川治貞 水戸・徳川治保) 実父・一橋治済が政治顧問として幕政に関与 治済は完全に意次を潰したいと考えている

意次は2万石を没収され謹慎を命じられる 5万7千石→3万7千石

田沼派役人粛清
松本秀持(勘定奉行)罷免 土山宗次郎(勘定組頭)左遷 神田橋の屋敷没収

御三家や治済は意次に変わる老中として松平定信を推挙する 治済は松平定信を自分の代弁者にしようとしたのか?

当時の幕閣(松平康福・水野忠友ら)は定信が老中になると田沼派が危うくなる すでに姻戚関係を解消していたけれど、田沼派であったことは変えられない
松平定信は若造29歳 幕府要職経験がなかった

大奥・高岳も定信の老中には反対の立場 質素倹約の定信は老中になろうものなら、大奥も木綿の打ち掛けを着ろ!と言い出しかねない
「定信様は初登城の日、我こそは吉宗公の孫である、と、吉宗公の愛した木綿の着物で現れるというクセ強めのアピールを行っておりました」九郎助稲荷

幕閣たちは、「種姫様(定信の妹)が、定信が老中になることを心配している 市中では米の値が上がり民の不満は高まっている このような時に定信さまが老中になり、しくじると傷がつく」
「さ様な折に生贄として あえて主殿(意次)を復帰させては」
意次をあえて 民衆の批判の的とする

天明8年 正月 意次謹慎解除 雁間詰の一大名となる
大廊下→溜間→大広間→帝鑑間→柳間→雁間→菊間
雁間は格式は低いけれど、大名詰の部屋の中で唯一 老中巡回経路にあり、老樹と折衝できる部屋であった

田沼意次は雁間から老中たちに進言という形で幕政に参加 裏の老中首座と言われる

御三家 治済 が能を鑑賞する場面
御三家・治済は「意次の政治責任を追求する意見書」を幕府に提出していた 治済は意次を完全に潰したいと考えていた しかし老中からの回答はまだだった
御三家は治済に対して、どうなっているか?と尋ねる
能の謡が響くだけで何か怖い感じがするわ〜

大奥「上様の身内である越中守(定信)は老中となれない」定信の妹種姫は全将軍10代家治の養子となっている これは9代家重公の遺言

治済はこの定めを破って良いと公言  ワシは時期将軍の父であると この発言で御三家の心象を悪くした治済

御三家紀伊・徳川治貞は意次と協力して 松平定信を家斉の後見と推挙する

田沼意次と松平定信は徳川治貞の仲介で話す機会を得る

定信に奥州の米を江戸の民のために回して欲しいと懇願 そうすれば上様の後見として推挙すると申し出る 定信は米は送るが 後見については保留と

徳川治貞には、励めども米は支度できなかったということもできると 不穏な発言

一橋治済は、焦っただろうな〜 田沼は力を盛り返して来る 御三家は自分から離れていく・・・

ドラマでは意次は幕閣を田沼派で固めたとあったけれど、実際はもうその力は失っていたのでは?

10代将軍・家治没から 11代将軍・家斉が就任するまでの短い期間 この間に何が行われたのか? ドラマを見ていると この通りだったのでは?と思わされる

治済と大崎の場面での あの黒い箱は何が入っているの???次は誰が標的???怖い〜〜〜

蔦重と新之助 新之助打ちこわしを決意

奉行所前に集まる市中の人々 お救い米を求める

新之助は蔦重から仕事をもらい、米をもらって生活してきた。蔦重とは友人
長屋の人々の立場 商人・蔦重の立場で 田沼政治の見方が違ってくる

田沼意次が復帰したから、お救い米が配られる様になったと 蔦重は言うけれど 長屋の人々にとっては、田沼政治がもたらした米の高騰 田沼がこの世を作った 
それぞれの立場によりまた考え方が違う

新之助は蔦重に もうここへは来るなと話す。蔦重は身寄りのない吉原出であるというが、「吉原とそこに落ちてくる金で財を成した、田沼の世で一番成り上がった男かもしれぬ」と新之助に言われる

田沼が松平定信に米を回してもらうことを確約し、お救い米を出す算段 三浦に申しつけ蔦重にお救い米が出るという読売を撒いてもらう

しかし お救い米が出ると言われた当日 定信が米を出さなかった よほど意次に恨みがあるのか?定信 うーーーむ これで一気に田沼の信頼が地に堕ちる
奉行所前 集まる人々

「犬を食え!」乞食風の男がお武家様が言ったと・・・
丈右衛門だった男が煽る

治済〜こんな街中に登場しちゃうの?

【べらぼうナビ🔍「犬を食え」】

定信の家臣・水野為長が世情を記した『よしの冊子』には、町奉行の曲淵景漸が「昔、飢饉(ききん)のときは犬を食った。今回も犬を食ったらいい」と発言したといううわさが広まり、打ちこわしの機運が高まったと書かれています。

新之助「お上の考え しかと受け取った」
蔦重 「十中八九 打ちこわしになる」

蔦重は 布を新之助たちに渡し 思いが伝わるよう幟を作るように説得 
源内先生の言ってたように 我が心のままに 声を上げれば良い

「誰一人捕まらねえ 死んだりしねえことです」

「カラッといきてぇじゃねぇですか。江戸っ子の打ちこわしは。血生臭ぇ野暮な斬り合いは、お侍さんに任せてねぇ」

大阪から始まった打ちこわし 江戸では秩序ある行動の打ちこわしだったと言われる このリーダーとなったのが新之助なのか???
源内先生の弟子だった新之助が 吉原の「うつせみ」と足抜けして、幸せな生活をしていくのだと思っていたところに 浅間山の噴火そして江戸長屋での貧困生活から おふく(うつせみ)と坊を失う そして打ちこわしを決意する 新之助夫婦が生き延びた役割
オリジナルキャラクターである新之助の役割はこうだったのね

今回 情報を整理するのに手一杯

田沼の政治と それにまつわる 幕府側の動き 時系列なっていない 
ちょっとおかしいかな〜と思うこと多々あり お許しを

 

 

将軍交代 10代家治から11代家斉 の 間で起こった政治空白 田沼政治の終焉 飢饉や災害 米問題 打ちこわし と複雑に絡み合う wwiki見てるとすごい時代であった

そんな中 商人蔦重を嵌め込んでいく脚本 凄いわ

そうそう 大田南畝は土山宗次郎と親しく 妾・三保崎は土山の金で見受けしたそうな
土山が左遷されたと聞くと、焦って蔦重の元へ

これから始まる 寛政の改革の伏線だろうか?



◆◇◆記事を読んだご感想をお聞かせください◆◇◆
  • 素晴らしい (0)
  • 役に立った (0)
  • いいね (0)
  • マダム好き (0)
  • つまんない (0)

Comments

コメントを残す