いよいよ 蝦夷地開発の話が始まります
藩主・松前道廣 一橋治済 曲者メンバーが集います
蔦屋も色々忙しい、北尾政演(山東京伝)恋川春町のバチバチ 歌麿の自身の絵を世に出したい蔦重 あちこち 問題が沸き起こります
意知は花雲助となり、源内先生の知り合いの平秩東作から、蝦夷地に詳しい土山宗次郎を紹介され花見宴会に潜入、情報入手を画策
意知・花雲助が政治パートと蔦重パート 両方に出没する この辺りさすがの脚本
政治編
田沼の用人 三浦庄司が、築地の梁山泊と呼ばれる 工藤平助の屋敷での宴会でオロシヤが日本と交友したがっていることを聞いてくる
早速、田沼意次に 蝦夷地を幕府直轄地として、松前藩を【上地】してはどうかと提案する。 工藤平助によると、蝦夷地は広大な土地があり、多くの金銀銅山があるという 蝦夷地を天領とし、長崎のように港を開きオロシヤと貿易をする 金銀銅山もあるから、幕府は大金を稼げると三浦は言う
田沼意次は、すぐに乗り気になるが、意知が止める
松前藩の領地を上地するには正当な理由が必要 意知が正当な理由を見つけると 意次に約束する
松前藩江戸屋敷での花見 天明2年春か?
田沼意次は 松前藩主・松前道廣が、家臣の不始末のため、嫁をマトにして矢を射る型の遊びを催し、楽しんでいる姿を見る、招待客には一橋治済も楽しんでいた。
クレジットに島津重豪が出ていたので、この場面見返すといましたわ((スクショ撮れないので画像粗いです)
サイコパスの松前道廣役えなり君 子役で可愛らしかったてど、これで役の幅が一気に広がりました

意次は、蝦夷地開発のこと、松前藩主の花見での話を 将軍家治に告げ 蝦夷地開発をすれば、松前藩から治済に筒抜けになる、松前藩の上地は難しいであろうと 松前藩主と一橋治済が思った以上に親しいことも告げた
豊千代様を西の丸に迎え、一橋治済の行動は読めない、意次が尻込みするは当然 それでも上様は幕府のお金蔵を根本的に立て直すことができるのではれば
「どんなものが将軍となろうと揺るぎない幕府を作る、そのために入用なことではれば」
やるべきだ と 言い切る
意知・花雲助が土山の宴席で話をしていた 湊源左衛門は元松前藩の勘定奉行だった 港によると、松前道廣は北辺の地でやりたい放題 家中を恐怖で従わせ 蝦夷の民には酷い仕打ちをし 抜荷もやっているらしいと 意知は意次に報告
上様は全てをご存知の上、上地計画を遂行するようにとの指示 白天狗(一橋治済)と松前家に決して知られぬよう 抜荷の確かな証を突きつけると 意次が語る
意知は抜荷の取引の場を記した絵図はどこかにあると 土山から聞いていて、それを探すことにする。
意知は天明元年に奏者番に就任 33歳(まだ部屋すみの身で奏者番に選任されるのは異例 意知は老中へのスタートラインに立った。しかもそれは同時に父意次の権力の後継者として走り始めた まだまだ田沼の勢力は屈強です
土山を通して、誰袖から文をもらい 誰袖に会いに大文字屋へ行く花雲助・意知
花魁にすぐに会えるとは どういうことだ?これは野暮ですな
誰袖は、吉原に出入りする松前家の者や蝦夷の物産を扱う商人の情報を教えることを花雲助・意知に持ちかける
そして、「わっちを見受けしておくんなんし」と・・・

誰袖は誰にでも「身請け」を持ちかけるのか?
吉原で掴んだ情報をちょっと気のある 花雲助・意知に渡すという
吉原で育って、どう立ち回れば自分に有利になるかを良く良く理解している 頭の回る花魁でありました 土山にも「身請け」をお願いしているのでしょう 悲しいですワ
蔦重編
吉原 親父殿たちの会合
西村屋 雛形若菜は売れる
耕書堂 雛形若葉は 全然売れない 呉服屋はお冠
鶴屋の青本『御存商売物』北尾政演作画 版元鶴屋喜右衛門が南畝の番付で一等をとった 親父様たちは、政演は耕書堂と親しいはずなのに、なぜ鶴屋から青本を出すんだと怒る
絵師 北尾重政が政演を連れて 蔦重に詫びを入れに訪れる 政演は鶴屋に指示されるがままに書いていたら青本が出来上がっていたと話す
それを聞いていた歌麿は 西村屋の若菜と耕書堂の若葉の違いを 重政に尋ねると 絵師と本屋が出す指図の仕方で仕上がりが違うことを教えてくれた
摺師は本職の摺師さん
宴席の帰りに蔦屋に寄った 南畝に蔦重は狂歌集を出して欲しいと頼むが、すでに南畝は他の本屋から頼まれているという
蔦重は、自分は本屋で奉公していないから、錦絵でも西村屋には勝てないし、鶴屋にも敵わないと弱音を吐く
南畝は老舗の本屋にはない発想が蔦屋の強み『そうきたか』であると話す、細見がせんべいみたいに薄くなったのも、雀踊りの祭りも一目千本も『そうきたか』の発想だったよ
蔦重は南畝に来年は狂歌本の南畝の年になる 青本を書いてほしい 狂歌の指南書を書いてほしいと頼む
蔦重は勢いに乗って、吉原の親父様たちに 「吉原の中にいる女郎たちを描く」計画を話す 重三郎は歌麿に書かせるつもりだったが、親父様たちは政演に描かせることを条件とした。
歌麿は快く受け入れてくれた
後に「うた麿大明神の会」を開く
墨ずりから錦絵 春信風 湖龍斎風 石燕風 清長風 あらゆる絵を書き分ける
戯作者や絵師 それを志すものら誰でもどうぞという宴会
歌麿を世に知ってもらうための会だった
その宴会で 塞ぎ込む恋川春町
政演が気に入らない、
春町の『辞闘戦新根コトバタタカイアタラシイノネ』を底本にした政演の『御存商売物』が南畝の番付で一番をとり売れていることが気に入らない
慰めようとする喜三二や重三郎 春町はついに 政演を盗人とよび 南畝たちを非難する狂歌を読む
そこで 次郎兵衛兄さんが「プーーーーーーっ」(いい仕事する次郎兵衛兄さん)
「俺たちは屁だああああ!」
「恋川春町 これにてごめん」と矢立の筆を折る
春町の真面目で一途 思い込む性格が現れています
それにしても 「屁」踊りみなさん楽しそう
天明2年(1782年)に歌麿は上野の忍ヶ岡に戯作者や浮世絵師を招いて宴を開いています、主催は歌麿ですが、実際は蔦重だった様子 表題の上野とはこの忍ヶ丘を意味しているのでしょう
天明2年のお話でした
天明3年 浅間山噴火
天明4年 奥州大飢饉 3月 意知暗殺
老中・若年寄・勘定奉行などを姻戚関係や田沼派で固めた田沼意次の勢力はまだまだ、続いていますが、天災が待っています
田沼の時代は、蔦重も自由にやりたいことができた様子 これから日本橋進出して行きます
長いな 次回は端折りたいw
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