今回で『折たく柴の記』上が終了します。今後もっとわかりやすい表題にしたいと思うところでござるwww
PDFは要約です、素人なので肝心なところを略しているっているかもしれません、ご容赦ください
『市塵』(しじん)は、藤沢周平の長編時代小説。新井白石が主人公。1988年に講談社で刊行。のち講談社文庫 (全2巻、改版)、および、新潮文庫(上下)、『藤沢周平全集 第22巻』(文藝春秋)で再刊。第40回芸術選奨文部大臣賞受賞作。
以前に 『市塵』を読んだ時、すぐにお腹痛くなっちゃう白石は嫌なやつという印象でした(笑)
今回『折たく柴の記』を読むにあたり、勉強している箇所を並べて再度読んでいます。
『市塵』はほぼ、柴の記に忠実に書かれていて、他は白石の日記(業務日誌の様なもの)などが参考にされている様子。1988年 第40回芸術選奨文部大臣賞受賞作
この頃の高度成長期のサラリーマンにとって、白石の小説は、自分の全てを仕事にかけている姿が読者に共感を得たのだろ思われます。家族などは顧みず、仕事のことだけを考える。そんな姿が理想だったのでしょう
丁度、私の世代はその狭間、友人のご主人は子供が熱を出すと会社を休んで医者に連れて行ってくれた。うちは、暮れ12/30まで仕事、子供が具合悪くても休んではくれなかった。
2022年の今では通用しない、考え方かもしれない
家宣(綱豊)は普通将軍の息子が世嗣として西の丸に入る場合にはない、摩擦があったのだと想像します (家宣は綱吉の甥にあたる、綱吉は娘婿を将軍にと考えていた)
元禄15年 3月に 藩翰譜を完成させた白石は4月熱海に湯治に行っている。お疲れ様の休養なのかしらん・・・
15年12/14には赤穂浪士の討ち入り
元禄16年の大地震は、相当大きかったらしい 『柴の記』に書かれている地震の記録はいろいろなところで目にする。
家宣が西の丸に入った時、白石は相当嬉しく舞い上がっていたのだと思うが、自分が出仕できるかどうかは、すぐには決まらなかった。
幕閣として西の丸の人事を決める際、甲府藩と幕府との人事の折り合いをつけるために、藩邸内で、様々ないざこざ、葛藤があったのだと思われます。
今まで仕えていた藩でも、西の丸に入るとなると同じ様に雇ってもらえるのかどうか?不安な藩士たち、白石は自分が長年学問の上で仕えていた人が出世し将軍の世嗣になることは嬉しい、内心は士官したいと思っていたに違いない。
宅地や資金を下賜されるが、これは、白石の身分では例外のことだった。ただの寄合身分でしかない白石に、宅地や家 資金などを賜ることは異例中の異例だった。(飯田町に家屋一棟と金二百両を拝領 敷地は355坪)
将軍の儒者として出世していくけれど、身分は寄合、儒者は一人だけではなく、もちろん大学頭林家からもつけられている。それでも白石に家宣は白石に一目置いていたのだろう。内緒で色々よくしてくれている間部詮房や将軍家宣の様子 子孫に伝えたかったのだろう。
一緒に勉強していると、色々なことを教えてもらえる。白石日記との時系列、所々に出てくる人物のその後の活躍やら、衰退。
面白かったのは元禄地震の際に何度も出会う藤枝若狭守方教(まさのり)の子孫は 外孫は箕輪心中で有名な藤原外記 一人で勉強していてもここまで調べられないと思う。
他にも色々教えてもらえましたデス