鎌倉殿と13人

7回「敵か、あるいは」

関東屈指の豪族 上総広常が 頼朝に着くか?大庭景親に着くか?の見せ所

上総広常は佐藤浩一 なんか配役見事だな〜と思う

昨日の『三島市立図書館講座「鎌倉殿」源頼朝を支えた北条義時』坂井孝一先生

300人以上の講座申込に小学生もいるとのことで、分かりやすく丁寧に話をしたいと前置きがありました。

ドラマの時代考証の内側、何人かの先生との議論などをお話しくださいました。

事実とは異なることも、ドラマの行きがかり上仕方のない演出もあるんだな〜と

この時代の女性は思いのほか強く、夫や子供が亡くなったから後を追うということはほとんどなく、菩提を弔って生き続ける。再婚するなど、滅法強かったらしい。八重姫は伝説として江戸時代以降に書かれたらしく、こうあって欲しいと自害したという説になっている。

頼朝の子供を産んだ八重姫のその後の先生の説、びっくり仰天、この説が「鎌倉殿」に反映されるのでしょうな、確かに三谷幸喜氏は、ガッキー八重姫が後半まで登場するとおっしゃっておられた。

第一話で、義時が八重姫にほのかな恋心を寄せるシーンがあった、当時義時9歳

そして、八重姫は伊東祐親の娘、義時の母も伊東祐親の娘

叔母にあたる八重姫と結婚はあり得ない、と思っていたけれど、義時のママと姉妹の八重姫は母親が違うのであり得るのか???



炎環 永井路子著には、義時は後妻・比企朝宗の娘「姫の前」にぞっこんで、別れてもいつまでも愛しんでいたように描かれていた。

ドラマだと年齢が分かりづらいので、なんとも言えない、そもそも八重姫の年齢もわからないし、名前だって伊東祐親の娘で八重は伝説の後から付けられた名前

うーーーーーむ 先を見守りませう!



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