昨晩 大きな地震がありました。
埼玉、東京で震度5 東日本大震災以来10年ぶりの震度5でした。
家族ラインですぐに息子娘からの心配のお知らせが届きました。
防災グッツを再点検しなければ・・・
地震(安政東海大地震)自民党政治不信(天保の改革)コロナ(安政コレラ)
この先に明治維新があるのだよ
地震 安静東海大地震
ペリーの黒船が来る前年 ロシアのプチャーチンの乗るディアナ号が下田に来航。安静東海大地震の津波より大破してしまう。
戸田港で、修理するはずだったディアナ号は沈没してしまったため、日本の船大工によりヘダ(戸田)号を完成させ、日露和親条約を締結させたプチャーチンはヘダ号に乗って帰国しました。
日本の船大工は思いの外、外国船の勉強ができたわけです。
政治不信・天保の改革
倹約令を施行し、風俗取締りを行い、芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖など、庶民の娯楽に制限を加えた。歌舞伎役者の7代目市川團十郎、人情本作家・為永春水や柳亭種彦などが処罰された。
天保の改革では、歌舞伎への弾圧 江戸三座は浅草へ移転、7代市川團十郎は江戸を追放されます。
贅沢の徹底的な取締が行われ、出版物・浮世絵なども制限されます。
先日、歌川国芳の講座で、幕府の目をかわすために、様々の方法で浮世絵を描き続けます。遊女を描いてはならぬと、擬人化して雀にしちゃったり・・・・
そもそも天保の改革は幕府の財政難を立て直すために老中水野忠邦が始めたんだけど、庶民は娯楽風俗を奪われて政治不信になっちゃう
安政コレラ
ドラマ「仁」でもやってた、江戸に流行したコレラの勢いはすごかったらしい。
安政2年の大地震、同3年の風水害に続いて、同5年(1858)、江戸の人々はコレラの猛威にさらされました。この年、長崎に始まったコレラの流行は、上方、東海道筋を経て7月に江戸に至り、8月に大流行したのです。これより前、文政5年(1822)にも西日本を中心にコレラの流行がありましたが、安政5年の流行の規模はこれをはるかにしのぐもので、江戸だけで約3万人の命が失われました。
コロナも原因不明で新規感染者数が減っている、国民の気の緩みのために感染拡大していると政府に言われ続けて、感染者数が減ると、原因がわからないと・・・
原因はあとから、調べてもらうにしても、このまま第6派など来ないで欲しいデス
江戸時代のコレラも庶民にとっては、きっと同じだったのだろう。
幕末と同じような状況の今 この先には明治維新がありました。
歴史は繰り返す
どうか、だたしい世の中に、わかる世の中になってほしいと思う 主婦でございました。