高橋克彦先生の浮世絵殺人事件三部作
写楽を読もうとおもっていたけれど、ちょっと横道
今回も、殺人事件はどうでも良い(笑)
前出の浮世絵研究家 津田が活躍。惜しくも前回殺されてしまった国府の妹冴子と結婚し、国府の遺稿「北斎隠密説」を出版するにあたり、隠密説を紐解く話がメイン
関わるのが、国府と同じキャラである、風俗史家の塔馬双太郎が津田の助けをする。
そして、殺人事件のメイン 画商の執印摩衣子(しゅういんまいこ)美しいハーフの女性。父は日本画家の執印岐逸郎(しゅういnきいちろう)。
アメリカで若い頃 執印岐逸郎と一緒に勉強した、益子が アメリカで殺される。ここから物語が始まる。
アメリカで発見された 極彩色の地獄の描写の描かれた北斎の作品
北斎宗理辰政 と銘
岡倉天心の箱書きと 中に 1901年6月 アーネスト・F・フェノロサの内容説明
この作品と、国府の遺稿をまとめる使命を受けて 津田が北斎隠密説の検証を始める。
一般的に知られている北斎は 改号30回 引っ越し93回 常に貧困なイメージで 作画だけに関心があった。
津田が調べていくと、決して貧困ではなかったはず、旅が多く 当時の旅には膨大なお金がかかったとも思われる。
晩年小布施町 高井鴻山家に長期滞在している。諸国名所シリーズは手掛けているものの、旅先で見たものを描くことは、なかった様子。現に小布施町を描いた作品は残されていない。
改号も、隠密のために江戸を留守にするための、カモフラージュであったのでは???
小布施町で世話になった、高井鴻山は梁川星巌、大塩平八郎、佐久間象山、佐藤一斎、江川太郎左衛門、渡辺崋山、高野長英らと関わりがある。
幕府にとっては当注意人物ばかり
これから、北斎は鳥居耀蔵の名で鴻山を監視していたのではないか???
北斎が旅した場所は海防関係の場所に相当する。絵師として砲台を作るための調査ではなかったか???
武士であった可能性もあり、勝川派を破門された後、狩野派に入門する。狩野派は町人階級で弟子になるのは、大変だった。
41歳のときに出版した『竈将軍堪略之巻』 刀を持った自画像を描いている
御庭番は世襲である、それも川村家
私も 北斎隠密説に完全に傾倒しました。
殺人事件の方は、印摩衣子と二人の父と画商としての様々な葛藤
またしても、津田は騙されたわけだけれど、人の良すぎる津田 冴子という伴侶がいるから立ち直れるのだろう。
『北斎殺人事件』は北斎隠密説を軸にだけ読ませていただきました。
んで 「広重殺人事件」も読んじゃう(笑)