【写楽 閉じた国の幻】上下 島田荘司著 読了

皆川博子先生【写楽】を楽しく読んだ。

そもそも 十返舎一九「東海道中膝栗毛」をリモートで音読しつつ 江戸仲間3人で勉強会をしている。

膝栗毛は、もうもうダジャレとおかしみだけの世界、十返舎一九は、はたしてどんな人だったのだろうか?と調べると、写楽と蔦屋重三郎に行き着く。

そこで、皆川博子先生【写楽】を読んでみたのですが、皆川先生さすがです、もう江戸の芝居小屋やその周りをみてきたかの如く描かれています。

ネタバレですが、歌舞伎 稲荷町役者のトンボが上手だったトンボが写楽 映画・漫画にもなっている作品。


  

その皆川先生の解説にあった、作品の中の1つ

【写楽 閉じた国の幻】上下 島田荘司著

自身の最愛の一人息子を回転ドアの事故で失う、そこで出会った美人大学教授と写楽の正体を探すストーリー、途中劇中劇で江戸の蔦屋重三郎・後の北斎・歌麿が登場する。

回転ドアの事故については尻切れトンボなイメージだけれど、写楽の謎解きはお見事!

北斎の研究者と言う設定だけれど、一気に写楽にのめり込む。はじめは、「福内鬼外」から平賀源内か???と話は進むが、平賀源内 写楽が活躍した寛政6年には没していることは、私でもすぐわかる。

北斎の研究者ならすぐにもわかりそうなものなのに〜

まあ 伏線なのだろうと読み進む、

写楽は御存じのとおり、写楽は寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)1月にかけての約10か月の期間(寛政6年には閏11月がある)内に、145点余の作、品を版行している。そして蔦屋重三郎をはじめ、写楽の周りにいて、一部始終をみていたはずの、蔦屋工房の絵師たち、歌麿・北斎 食客だった十返舎一九 彫師 摺師等々が誰一人として、その正体についた話していない。もちろん写楽自身も実は私だったと 誰も言わない。

諸々の別人説を紐解いて、ネタバレ最後は日本橋本石町の長崎屋に滞在していた、オランダ商館長江戸参府に来た一人が書いた絵を歌麿が「しきうつし」して、蔦重が出版した。

しきうつし(書画などの上に薄い紙を置いて、上から写し取ること。転じて、他のものをそっくりまねること。)が横行していたことは、歌麿が自分は”しきうつし”はしないとしないと、わざわざ言っている。

歌麿と写楽の共通点や、別人説の1つ1つの否定 など、細かく書かれています。

役者絵は本来、美しく描くことが常識、写楽はありのままに描く。
本来、立役者を中心に描くが、写楽は無名の役者も描く

カピタン一行の江戸参府の時期の合致 あまり歌舞伎についてくわしくない写楽

小説とはいえ、調査されていて、そうなのかも・・・と思わされます。

劇中劇の江戸の町中
蔦重と北斎が、オランダ商館長一行のラスさんを芝居町に連れ出す 緊迫感。もしも大柄な外国人が芝居見物していることが、わかったら即刻打首 オランダとの国交も危うくなる。

この辺の町中の様子、頭では薄々理解しているつもりだけれど、日本橋・長崎屋 堺町・葺屋町 耕書堂のあった通油町などなど、確認しながら歩きたいと思うのでありました。

コロナでも一人でウロウロ歩くのなら大丈夫だろう、涼しくなったら是非実行したい。



◆◇◆記事を読んだご感想をお聞かせください◆◇◆
  • 素晴らしい (0)
  • 役に立った (0)
  • いいね (0)
  • マダム好き (0)
  • つまんない (0)

コメントを残す