庭綺麗計画着々と進行中
近所のアパート前 陽があまり当たらない場所でも元気にしているので、名前を調べてやっと判明
「おたふく南天」「マフォニアコフューサー」
日当たりが悪くても、生育し、あまり大きくならない 放っておいても大丈夫の様子
川口緑化センターに行ってきました。
『植木の里・安行』
『花と緑の道の駅・川口・あんぎょう』
のキャッチコピー
植木たちが所狭しと、販売されています。
JA農産物直売所 家に植えた苗(島忠ホームセンターで購入)よりも安くて良さげ(笑)
我が家の畑 まだ場所があるので ナス・オクラ・バジルを購入
バジルとマリーゴールドはコンパニオンプランツとして タネを撒いたのですが、バジル100円だったので2つ買っちゃいました。
メイン目的の「おたふく南天」(南天の大きくならない種類)「マフォニアコンフューサー」(ヤナギバヒイラギナンテン)
センターの入り口入って、すぐ見つけました。
何箇所か見ましたが、お手頃な大きさを選んで おたふく4つ マフォニア4つ
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植え付け前 -
植え付け後 -
緑化センターで買った苗を追加
我が家に入る私道の南側、お隣の家の塀でほとんど陽が当たりません。
北側は以前はチューリップ 今は畑にしています。
春から夏にかけては、かろうじて陽が当たります。
以前植木屋さんがきた時に、「おたふく南天」について聞いたところ、成長が遅いとは言え、成長するので、間隔を開けて植えた方が良いとの助言でした。
うまく根付いてくれるといいな〜
安行について、少し調べました。
生産地の歴史は江戸時代初期から
植木・苗木の生産地としての歴史は、江戸初期にさかのぼります。
江戸初期の関東代官頭に、伊奈半十郎忠治という人がいました。
伊奈半十郎忠治の陣屋は、当初、伊奈町(埼玉県北足立郡伊奈町)にありましたが、その後、赤山(埼玉県川口市)に移されました。
赤山の地で、伊奈半十郎忠治が植木や花の栽培を奨励したことが、安行の生産地としての歴史の始まりとなりました。https://greensnap.jp/article/1207
安行植木の祖 吉田権之丞
安行村の吉田権之丞が切り花植木を作り、江戸に売り始め盛んになったとも言われ、安行植木の祖といわれている。(承応年間)
振袖火事を契機に大当たり(明暦3年)
江戸を焦土と化した明暦の大火(振袖火事)の後、茅や の売り込みに合わせ花木や植木を出荷し、大当たりをしたといわれている。これを契機として近隣の農家で、植木等の栽培が広く行われるようになった。https://angyo-engei.com/blog/17/
安行村の吉田権之丞が明暦の大火の後に江戸に花木・植木を出荷して大成功したらしい、明暦の大火により江戸の町に緑を復活させた。大名家の庭などを作ったらしい。
江戸の植木といえば 巣鴨、駒込、文京区染井、田端等が有名だが、安行は後方供給基地の役割を果たしていた様子
江戸初期から安行は栄え、江戸に植木を出荷していた。
吉田権之丞は、明暦の大火で焦土と化した江戸に、屋根材のカヤなどとともに、植木や切り花を出荷しました。
これは、大変に江戸の人々の人気を集めたそうです。
しだいに近隣の農家も巻き込んで、植木や花の栽培が盛んに行われるようになりました。
そもそも、権之丞さんが草花を栽培する技術を学んだのは、東京都の駒込・染井の植木屋さんでした。
大火の前に、権之丞さんが東京で学んだ栽培技術が、安行のまちを発展させたといえるでしょう。
大火事でなにもなくなってしまった江戸のまちに、建築資材だけでなく、苗木や切り花を持ち込んだのは、技術を教えてくれた江戸の人々への恩返しの意味も大きかったのかもしれません。
権之丞さんは、いつしか「花屋」という屋号で呼ばれるようになりました。https://greensnap.jp/article/1207