東海道中膝栗毛 発端(はじまり)は、ベストセラーになってから、弥次さん喜多さんはどんな人?など、エピソードを後になってから書いた章。
弥次さん喜多さんの江戸での生活、そして江戸を出発することになる動機が書かれています。
弥治郎 駿府出身のただの親父
喜多八 元は蔭間
二人の素性が明かされます。
駿府から江戸に流れて、神田八丁堀に店借りしていました。
弥次さんは、近所の飲み友達の計らいで女房をもらい 国元で習い覚えたあぶら絵(漆器の上に顔料に油・密陀僧を混えて絵柄を描いた物)を書いてその日暮し 喜多は商人に奉公して暮らしていました。
弥次さん友人と結託して女房を追い出し、”おつぼ”を嫁にすれば十五両いただけると、お腹の大きな”おつぼ”を嫁にする。お腹の父親は喜多さんだとわかり、喜多さんは十五両と”おつぼ”を他所へ片付けようと言う算段。
喜多さんは弥次さんに十五両貸して欲しいと頼んでいた。
つまりは、メビウスの帯状態。
この筋の合間に、いろんなことが起こる。結局”おつぼ”は亡くなってしまうのだが、それもどうもいい加減な扱い。
女房を騙して追い出しても、それほど悪いとは感じていない様子。
話の合間に、洒落や諺、地口やら下ネタ いろんな事が飛び交う。
お腹の大きな”おつぼ”が、生まれそうで苦しんでいる最中に大喧嘩してる様
結局亡くなってしまうのだけれど、いつでもどこでも飲む算段
一夜にして女房が変わり新しい女房は生まれそうな大きなお腹 近所の人たちもビックリ仰天
呆れ返ってしまう弥次さん喜多さん
大きく分けて、2つのお話 2つとも原話があるらしい(解説より)
◆古女房を騙して追い出す話(芝居万人鬘)
◆早桶に首がない話(咄本『譚蓑』「弔い」)
江戸の人たちは、この種の話を好んでいたのだろうか?
何やら、暮らし向きといい、考え方といい、自由奔放とはこんな思考なのだろうか?と、羨ましくもあり、酷いわ〜とも思う。しょっ中火事があるし、おまんまさえ食べられれば、その日暮らしでも十分生きていけた。
現代に暮らす私にはこの自由な思考を少し分けていただきたいと思うのでありました。
【余談】十返舎一九の自画像 左の袖に 「十へんしゃ」の文字が隠されています。
見つけたんだけど、あってるかな〜