4月に入りました。コロナは終息にほど遠し
実家へ介護の日参も復活です。
どうも母のところに行く事、気持ちの切替がうまく行きませぬ
桜も散り始め、次男の三女の保育園「慣らし保育」が始まり、ギャン泣きのチビ 試練の時です
さて、江戸仲間とのリモート勉強会【浮世風呂】もついに最終回(27回目)となりました。
ここには書いていなかったけれど、ちゃんと続けていました。
頭はチョ切りとしたホンダに結い、今も りきみの失せざる風態の老人、若者2人が昔の芝居狂言の荒事について語る。この老人の父の代の話なのだろうか?2代団十郎の生の舞台を見ているとは、驚き。
江戸の後期において、歌舞伎の変遷がうかがえる。
老人の話はとかく長い(笑)音読を進めるのに、どこで切ったら良いのか?迷いながら進む
座頭”めくいち”が風呂の中で八人芸の声色 上記の粋な老人と”俳諧亭歌詠”という人が入り乱れての会話
最後は、座頭”めくいち” 上方のケチ助に舞茸を食べさせられた普段は面白くもない人が、踊りが止まらなくなり、めくいちの八人芸ともう何が何だかわからなくなってくる。
【浮世風呂】三人で音読全部完了
分かったところは、当時あまりに当然で説明の必要のない事柄が、今の私たちにはわからないことが多かった。
調べても、調べても、わからないと言うことがわかった(笑)
風呂屋の中の会話を三馬先生がかいつまんで、話す。
現代でそれをやろうと思ったら、高校生の会話、若者の会話、社会人の会話、老人の会話等々 できなないのかもしれない。江戸時代の風呂屋での会話は、資料として貴重なんだろうと思う。
よいよい (今で言う障害者)や、多くいたと思われる座頭などの人々も一般人には素直に当たり前に、受け入れられていた様子。
人々の生活や環境のレベルの差が、垣間見ることができた。
今まで江戸の勉強をしていた中で、棒手振りの野菜売り、前菜屋と呼ばれるのは1、2種類の野菜を売ると覚えていましたが、何種類も棒手振りに入れて売っている場合もあった様子。
着るもの、髪飾りなどのファッションも流行りすたりのあった様子。
実際に江戸時代こうであったと断定されていた事柄も、浮世風呂ではかなり曖昧に扱われていた。
考えてみると、当たり前のことなのだろうと思います。
コロナ禍、本来は三人で集まって勉強会をする予定でしたが、zoomでの勉強会になりました。
ネット検索もできるし、瞬時にファイルを共有することもできるので、返って好都合なのかもしれないと思っています。
為永春水【春告鳥】に始まり、式亭三馬【浮世風呂】が終わりました。
今度は三馬先生と同時代に活躍した、十返舎一九【東海道中膝栗毛】がスタートします。
楽しみデス