十歳位の、こまっしゃくれた女の子の会話。
よく、江戸の女の子の忙しさで例文にあがる文章
まアお聞きな。朝むつくり起きると手習のお師さんへ行ってお座を出して来て、それから三味線のお師さんの所へ朝稽古にまいってね、内へ帰って朝まんまをたべて踊の稽古からお手習へ廻って、お八つに下がってから湯へ行って参ると、直にお琴の御師匠さんへ行って、それから帰って三味線や踊のおさらひさ
浮世風呂三編巻之上 女中湯之遺漏
10歳位の女の子の日常の稽古の様子、忙しい
この娘の母親は無筆で、やたらと稽古をさせる。もう一方の女の子の母親はお屋敷勤め上がりで、お屋敷勤めの経験があるためか?手習と三味線の稽古だけをしている。
女の子が稽古をさせるのは、お屋敷奉公させるためで、今で言う、良いところに就職させるため、あるいはお受験のためのお勉強といったところか?
やたら稽古をたくさんさせるのと、1つくらいで良いと言うのは、お屋敷奉公の経験があってわかっているのだろう。
現代にも、似たところが、たくさんある。
この後、おっかさんにねだって、普段着を路考茶に染めてもらったとか、今着ている伊予染を普段着にするとか 10歳の女の子の話とは思えぬ会話になります。路考茶って10歳の娘には渋すぎやしませんか?
あそばせ言葉で、語る60歳の婆さまと娘をお屋敷奉公に出す女性の会話
奉公人の有様と、嫁の悪口を語ります。
初めは、新年のご挨拶から始まり、三馬先生のところで売っている、「延寿丹」や「江戸の水」の宣伝が入ります。のちに、興が乗ってくると自分のところの奉公人の悪口を言う。朝飯が終わりそこらを撫で回すと、二階へ上がって髪に半日かかり、その後無駄口ばかり叩く。雪隠の陰で聞いていたら、先の主人を褒め、3月が来ればおさらばと・・・
「江戸の水」の広告が貼ってあります
若い方の女性の奉公人の話
1年の年季が明ければ、こんな奉公先はおさらばと言う。半襟は白粉に染まって地色がわからなくなり、16銭24銭の白粉は2、3日でなくなる。元結油も粗末に扱い、古い着物、古い足袋で仕事をしろといっても、着替えもないのにお洒落をしたがる。
前垂も松坂は嫌だと広斬を買う。(小さな奉公先なので、お仕着せの前垂れはなく、きっと自前だったのだろうと思われます)前垂れの、布の使い方にも文句を言っています。
「茶屋小屋の女中衆ではなし、商人家のおまんま炊きが、それではすみません」
もうひとり60歳位の婆様は嫁が、長湯文字をつけているので注意したら、[奉公人りんの馬鹿めが]それを聞いていて、木綿の長湯文字をしめましたわと・・・
奉公人の話を聞いてると、口入屋から入った小さい商人の場所では、こんなに御気楽に過ごせたんだな〜と思う。三馬先生のデフォルメもあるのかもしれないけれど、奉公人と言えば 「おしん」の如く(時代は違うが)辛く厳しい生活だとばかり思っていました・
【浮世風呂】もリモート勉強会16回目 何だかやっと慣れて来ました。
zoom無料40分✖️3回で終了できるようになりました。
前回に次の会での予定を決めるのですが、少し長いかな〜と思ってもバッチリ終了できます。
40分で一区切り出来るのは、良いのかもしれませぬ
3人で分けて、予定の部分を音読する 初めの男風呂のべらんめえ調の口調に苦労しましたが、女性言葉は難しいこともありますが、現代の言葉に近い時もあります。
江戸とは言え、地方から出てくる人たちの方言もあります。それを調べていると、いくら時間があっても足りません。
言葉自体がわからないこともあるし、文脈がわからないこともしばしば。
自分では、わからなくても、文字の区切り方が違っていて意味が通じないこともあります(これは、私が一番多い)
今は、【浮世風呂】の予習で手一杯。
注を書いている 神保五彌先生の本を買ってみた 面白すぎる〜
メンバーのお姉さまの推薦本でございます