午後の光景(ヒルスギノアリサマ)
生酔広告を誤読して番頭を悩ます
酔っ払いと番頭の会話に、客2人が加わる
寝小便など様々な病気に効く薬の効能をめぐる会話と、銭湯の二階を借り切って湯に浸かる話
生酔二階番を悩ます。
二階で酔っ払と二階番、二階の客2人
酔い覚めの茶と菓子をめぐる話
傘屋の金兵衛が亡くなり遠方へ葬儀に行く打ち合わせ
生酔と呼ばれる酔っ払いが、面白い
現代のお笑いに通じるかも知れぬ(笑)
酔っ払っていることをいいことに番頭にデタラメを言う。
この酔っ払いはどうも、通りすがりの武士のよう。
いつから飲んでいるのか?午後、子供たちが寺子屋から帰ってしばらくした時間帯に、すでにベロンベロン
訳がわからないことを、まくし立てる。
調査中
このお侍、刀はどこに預けたのか?
湯屋の二階は当初、武家の刀を預かる所だったはず。
酔っ払いは、二階に上がって、二階の番頭を困らせるが、「刀掛け」は二階にあったのではなかろうか???
お侍は、皆銭湯に行っただろうけれど、幕末まで二階に「刀掛け」はあったのだろうか???
町人が知り合いの葬儀に出かける相談をしている。
葬儀があると、いつも1日がかりで他のことができないとぼやく。
遠い寺での葬儀は1泊(品川によることもできる)で、ちょっと嬉しいのかも知れない。
町人が葬儀に参列する場合、何を着ていたのだろうか???
町人は普段着みたいですネ
江戸時代まで、喪服は喪主に限らず、白が大坂では一般的であった。親族は白または水色の無紋の麻の上下で、夏は白の晒を着用した。庶民は貸衣装を利用したが、裕福な者は自前のものを用意し、葬儀ごとに作る者もあった。女性も白絹白麻布の着物に白絹白綸子の帯を着用した。これに対し、江戸では親族でも染服に小紋上下を着用した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%AA%E6%9C%8D
喪服が黒になったのは明治以降のようです。
落語で葬儀の話はいくつかありますが、服装まで注意したことがありません。
わからないこと、沢山あります 今後の課題でございます。