内藤充真院【五十三次ねむりの合いの手】勝手に勉強会

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内藤充真院【五十三次ねむりの合いの手】を江戸仲間と月1でzoom勉強しています

充真院

1800-1880 江戸後期-明治時代,内藤政順(まさより)の妻。
寛政12年閏(うるう)4月13日生まれ。井伊直中の娘。井伊直弼(なおすけ)の姉。日向(ひゅうが)(宮崎県)延岡(のべおか)藩主内藤政順と結婚。天保5年夫と死別。和歌,絵画,遊芸にすぐれ,日向と江戸を往復したときの旅日記「五十三次ねむりの合の手」「海陸返り咲こと葉の手拍子」をのこす。明治13年10月24日死去。81歳。名は充(みつ),繁子。

https://kotobank.jp/word/%E5%85%85%E7%9C%9F%E9%99%A2-1081683

江戸から日向に向かう 幕末の隠居の旅日記 文久3年4/6に江戸・六本木屋敷を出立 途中 日向大阪屋敷に8日間滞在 これから船で日向に向かうところまできました。ちょうど半分くらいにあたります。5/6に大阪を船で出帆 5/10には幕府の攘夷決行

攘夷決行と騒がれている中、江戸の御隠居様が国に帰る 穏やかな旅が続けられているのであります

5月10日、「国土が焦土になっても開港交易は認めない(譬皇国一端黒土成候共開港交易ハ決而不好候)」とする天皇の書簡(宸翰)が発せられた[18][52]
長州藩は同日、関門海峡を通過したアメリカ船に砲撃を加え、その後も外国船への砲撃を実施する

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%98%E5%A4%B7%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E3%81%AE%E5%8B%85%E5%91%BD

今日勉強した部分では 充真院が大阪の茶屋で芸子たちに踊りや三味線を求めますが、あまり上手ではなく、気に入らない様子 これはもしかしたら、大阪の主なる芸の出来る芸子たちは、大阪に集まっている尊王攘夷の武士たちの宴席に駆り出されているからだろうか???などと、仲間達と一緒に妄想します

大阪屋敷に滞在中 いろんな寺社仏閣を訪問している。江戸との違いについても細かく書かれています。アンチョコが少ないため あっても私たちの知りたい部分が書いてなかったりする中、これで良いのかな〜と言いながら 音読して解らない部分を話しています。

濁点がなく、使い慣れない幕末の言葉、雰囲気はわかっても、正確には解らない言葉もたくさんあります。ただ、以前に比べれば、濁点を予想しての音読が少しだけ上手になった気がします

【五十三次ねむりの合いの手】の前は、新井白石【折たく柴の記】

白石先生の時は週1の勉強会、予習が良くできたと、今日も話しました(笑)

コロナ3年間、外出できない中始まった勉強会 コロナ禍であったので週1でも予習ができたのかもしれませぬ 白石先生の場合は確かなアンチョコあったけれど、それでも理解出来ないことが多かった。

介護や孫たちと遊び、自分の筋トレや趣味の時間もとりつつ、予習
これがなくなったら、全く江戸の勉強から遠ざかってしまう

来月の勉強会予定日までにちゃんと予習しよう!!!

一緒に勉強した江戸検の仲間達は皆様お元気にしていらっしゃるのかしらん・・・



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