天下祭 起こりの比較

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『わっしょい!』本と今日もニラメッコ。

山王祭 神田祭の起こりを時系列で表示

いろんなことが 見えてきました。

ブルー=山王権現関連
オレンジ=神田明神関連

 西暦  元号 種別  出来事
730 天平2 神田 武蔵国豊島郡芝崎村 大己貴尊を祀る
940 天慶3 平将門 関東で反乱を起こし討伐される
1309 神田 時宗 他阿真教 芝崎道場を設ける(別当時 日輪寺)祭神に併せて将門を祀るようになった
1478 文明10 山王 太田道灌が江戸城内に、川越無量寿寺(喜多院)境内の山王社を勧請
1590 天正18 8月 家康入府
1600 慶長5 関ヶ原の戦い
1603 慶長8 家康征夷大将軍
慶長8 神田 駿河台移転
1615 元和元年 大阪夏の陣(4月~
元和元年 山王 山王祭 江戸城内に初めて入る(6月15日)
1616 元和2 4月17日 家康死去
 1616  元和2  神田 当時神田山と呼ばれていた 現在地に駿河台から移転 30石朱印地もらう。別当寺 日輪寺→→柳原→→浅草
1635 寛永12 山王 家光 城内櫓で上覧
(寛永期ごろまでに半蔵門外(貝塚)に移転)
1637 寛永14 島原の乱
1651 慶安4 由井正雪の乱
1657 明暦3 明暦の大火
1659 万治2 山王 永田の馬場 現在地へ移転
1681 延宝9 山王祭 神田祭 隔年交代になる。
 1688 元禄元年 神田祭初めて江戸城内へ
1783 天明3 神田 神主の願いにより 山車行列の途中に2基の神輿を挟む

元和元年 大阪夏の陣が4月5月 戦後処理も始まらないうち まだバタバタしていたころ
山王祭は江戸城内に入る。
江戸幕府は大阪の混乱の中 、産土神を祀り 江戸城内に入れて行った。

元和2年 4/17 家康が死去、東照大権現と神格化される。
その年に神田明神は駿河台から当時神田山と呼ばれていた現在の地に移転。幕府は朱印地を30石授けている。
4月死去して9月に祭、そして朱印地を与える 自粛ムードはなかったのでしょうかね。

徳川政権は 家康 秀忠 家光と官僚機構の組織確立を進めながら、着々と地固めをし山王祭・神田祭 天下祭を支援して江戸の町の整備を推し進めていった。

やはり 初期の江戸幕府は凄い!

 



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2 Replies to “天下祭 起こりの比較”

  1. つゆくさ

    こうやって表にすると俄然わかりやすくなりますね。「自粛ムードはなかったのでしょうかね」には笑えました。確かに…!

    1. マダム

      つゆくさ様
      すでに秀忠政権、駿府で没したとはいえ偉大なる家康様だったはず。自粛よりも祭で盛り上げようとの意識があったのか?と妄想しています。

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