大人の休日倶楽部の講座 たま〜に出没するマダムです。
🔳日本橋で400年続く団扇と扇子の老舗 「伊場仙」14代当主吉田誠男(のぶお)氏の講演
🔳昼食 日本橋 弁松総本店
🔳お菓子 長門「翁草」
🔳街歩き ○伊場仙 ○小津和紙
「伊場仙」14代当主 吉田氏講演
着流しに「伊場仙」の半纏姿で登場
当主は普通半纏を着ない、半纏は店の出入り業者が通行証の代わりに着用する物
今日は特別着ています と軽快な語り口で始まりました。
浜松の商人伊場屋勘左衛門が家康の江戸入りと一緒に天正18年(1590)に江戸へ
(この年は勘左衛門の生まれ年らしいが、創業年としています とのこと)
余談で、勘左衛門の出身地 浜松市中区東伊場町の賀茂神社の神紋を家康に譲ったそうです。
参照【徳川家康の家紋】
プロローグ
日比谷入江の埋め立ての変遷
古地図を使って丁寧に解説
江戸開府のころの町は男女比が7:3
五街道の整備 等々 江戸初期の街の様子の説明
「伊場仙」の商品の変遷
・土木工事(慶長年間初期)
家康とともに江戸に入り、土木工事に住持 ともに江戸に来た人たちの中には遠州に帰った人々もいた。
・紙(和紙)竹の販売 実業の出発点
・団扇の制作
・出版業の確率
町の情報誌・かわら版・春画・ゴシップ紙→浮世絵の誕生
・木版技術の確率 浮世絵 版元
・扇子の販売開始(幕末)
浮世絵の出来るまで
・版元の企画(絵師の選択)
・絵師の決定
・絵師のデッサン(下絵の作成)
・版元で色付け
・彫師へ
・摺師へ
・版元へ浮世絵を納品
・販売
版元がほとんど指示 絵師は下絵のみ、版元が色を指定する。
いろいろな場合があるだろう。
版元側からみたら、こう云い切れるのかもしれない。

国芳が天保の改革 水野忠邦を痛烈に風刺した作品
江戸の人たちは喜んでこの浮世絵を買ったという。
天保14年1843年作のこの作品 水野忠邦は天保14年9月に失脚
吉田氏のおっしゃるには、版元は水野が失脚する情報を得ていたので版元がこの絵をガンガン出版するように要請したという。
調べてみると、幕府からお咎めを受けて絵は発禁処分になったともあります。
諸説ありでしょうが、吉田氏のおっしゃる版元の力は膨大だったのだろうと思います。
版元復刻ビジネス
外国人が高値で買ってくれたため、関東大震災前日まで 版元復刻ビジネスを展開
版木があったため、復刻版を作ることが出来た。
関東大震災で蔵がやけてしまい、多くの版木を失う
ボロ儲けだったようです
私の興味のないところは割愛www
有意義な講義でございました。
弁松弁当・長門のお菓子
「伊場仙」お店でお買い物
着流しで講義をしてくださった吉田氏
お着替えなさって、ダンディがスーツ姿で登場 カッコいい〜〜〜
伊場仙のビル1Fは「伊場仙」のお店と郵便局
この郵便局 100年以上続く日本最初の特定郵便局だそうです。
そして、ここは小船町 浅草寺の宝蔵門に小舟町の大提灯を思い出しますよね
小津和紙
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小津和紙 -
小津和紙
小津和紙は以前、江戸仲間と一緒に「小津資料館」を見学したことがあります。
その時説明位してくださった 松浦さん(だったと思う)素晴らしい知識となめらかなお喋り、質問にも1つ1つ丁寧に答えてくださいました。
清左衛門長弘が現在の地 大伝馬町に紙問屋を創業(承応2 1653)してから、時系列に土地を買い足していく様子、沽券証文などが資料として展示。千両箱・看板・覚書・藩札・番付表 etc
他にも、貴重な資料が沢山
国学者・本居宣長
松坂本町の小津三四右衛門家に生まれ、商売はせず、国学者・医師として身を立てる。
清左衛門長弘は本居宣長のひいじいさんに金200両を貸してもらって、ひいじいさんの姓「小津」をもらう。
小津安二郎の父上が、どうも小津和紙のやっていた商売の店の番頭をやっていて 小津の姓をもらったようだ。
う~~~ん 資料館で聞いた話とwikiとちょと違うけど、資料館の話のほうが正しいでしょうwww
再来年大河ドラマになるという「渋沢栄一」
直筆の「温故而知新」青淵老人題 の額有り
大人の休日倶楽部 趣味の会 お江戸日本橋講座 もっともっと 一般的にサラッとお話されると思ってましたが、結構ディープに楽しめました。
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