『徳用奥羽屋』再び

葉月に入りました。あづい〜

8/1

古文書塾てらこや 特別講座「浮世絵を読む」妖怪編 2

今回は妖怪や幽霊の特集の第2回め

先週体調不良で欠席 紅色クラス藍色クラスがあり、欠席した場合 可能であれば別クラスに振替られます。

妖怪や幽霊にあまり興味がなかったのですが、藤澤茜先生の講座が聞きたくて参加

結構面白く拝聴しております。鳥山石燕の浮世絵中心でしたが、最後の方に戊辰戦争の風刺画にも百物語が登場する説明がありました。

戊辰戦争の風刺画は幕府、それぞれの藩を名産物を着物の柄で表現しているとのこと

むむむっ 以前調べていた 『徳用奥羽屋』を思い出し、尋ねてみました。

コレです 中央子ども 鳥居の絵柄の着物を着た人は誰???で随分悩んだのですが、結局 鳥居三十郎に落ち着いた件

私としては 皆が知っている(わかる)人であってほしい。

本当に鳥居三十郎は有名だったのか???というのが疑問

他は藩名なのに、なぜ???

調べてくださるとのことでした。

 

解説楽しみです。

『徳用奥羽屋』教えてくださいm(__)m



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『徳用奥羽屋』再び” に3件のコメント

  1. マダムさま
    鳥居三十郎ね!
    去年、村上に行った時、観光協会のおねいちゃんは知っていて
    お墓が朝日村に移されて・・とか説明してもらいました。
    地元の歴史資料館(本当はお祭り史料館)でも彼の手紙やら日記やら展示がありました。
    村上藩は鳥居三十郎が城を出て戦い、責任を一手に背負って切腹したので
    城下も焼かれず他の重臣たちもおとがめなしですんだので人気があるのです。
    肝心の江戸近辺での評判も、多分「若い」ことと、判官びいきで
    人気も出たのではないでしょうかと思います。
    ただし、観光協会のおねーさん以外にはあまり知られておらず、
    村上観光協会は鮭の養殖とか、お祭とかを押しております。

    1. この錦絵は戊辰戦争の後、東北の奥羽列藩同盟の戦いを知らせる瓦版の意味もあったと思う。
      鳥居三十郎を知れば、なんとなく納得するんだけど、情報として江戸庶民が鳥居三十郎を知っていたか?とうか?
      現代と同じに考えてはダメなんだろうけれど、子供で中央幕府側のお人、もっとスーーーッと納得したいのですわ

      1. 川柳とか、江戸時代のはヤナギダルとか持っているけど、明治期のが良くわからないナ。
        だけど、鳥居三十郎は東京に送られて取り調べを受け、
        それから村上に帰されて、
        村上藩に「斬首しろ」と命令したけれど、
        村上藩は、まだ20代の鳥居三十郎が、藩の為を想ってやったことへの責任だから
        (てのは、新政府軍も怖かったけれど、庄内藩なんかの奥羽連合にも義理があったので
        止む無く分裂して両方についた感じだった)
        ということで、明治政府のいうことを無視して、斬首ではなく切腹させたのよ。
        中央政府にたてついたところも庶民向きだと思うのよね。
        SNSこそないけど、口コミで「村上藩もやるじゃん」てのが広まったのでは?

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