宮古湾海戦 ストーンウォール号と回天丸

榎本武揚率いる、徳川家臣団は函館で一応 「蝦夷共和国」を明治元年12月 設立させた。

翌明治2年3月に 鋼鉄船ストーンウォール号を奪還しようとする。
そもそも鋼鉄船は旧幕府が発注していたから、奪還は正当だと思ったのかもしれない。

 

宮古湾海戦で 回天丸が甲鉄艦(ストーンウォール号)に接舷を試みた。しかし小回りがきかず、回天丸は船首を甲鉄艦の横腹に乗り上げるT字形になった。回天丸の甲版は甲鉄艦のそれより3m以上高く飛び移るのはほぼ不可能だった。(幕末・維新P160)

回天丸から甲鉄艦に飛び移ることが不可能だった。ってのがどうしてもイメージできず

イメージとしては甲鉄艦の方がでっかいのではないか?と思ってて 回天丸の方が小さいわけだからおかしいな〜と思ってました。
乗り上げたから余計に高くなっちゃっているっぽい。

これでも乗り込んでいった元新撰組 野村理三郎らは、反撃あって失敗に終わる。

 

自己満だけど理解できたつもり

 

 

面白いyoutube発見 20分で結構わかります。
でも 回天丸からストーンウォール号にすんなり乗り移れちゃってるwww

「万国公法」のセリフがやたらでてきます。



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宮古湾海戦 ストーンウォール号と回天丸” への11件のフィードバック

  1.  マダム 様
     おはようございます。
     回天丸は1,678tで甲鉄は1,358tですので、回天丸のほうが大きいのです。そして甲鉄は船の外側の全面に錬鉄を張り巡ら
    せていたため船体が重く、普通の船よりも水から出ている部分が低く
    かつ少なかったのです。そのため回天丸と甲鉄との差が3メ-トルあり、切込隊が甲鉄に飛降りるのにかなり躊躇したようです。

     ただこの作戦そのものは、榎本武揚側の「最後の大博打」だったと思うのですが、いかがでしょうか?
       本郷の主殿

  2.   マダム様
     念のためと確認したところ、回天丸のトン数は1,678t、
    1,280t及び710tの3説がありました。後日調べたうえで確定したトン数をご連絡いたします。
      本郷の主殿

    • 本郷の主殿様
      うーーーん 流石です。
      船本体の大きさを調べれば良かったのですね。
      でも その大きさにも 諸説あり・・・(2説まで確認しました)

      甲鉄艦は外側の全面に錬鉄を張り巡らせていて船体が重く、通常でも甲板の高さは3mの差があったらしい、その上乗り上げているのでなおさら差が付いている。

      上記 youteube
      見ると、甲板の差は全然感じられなくて、船自体の大きさの差も気にならない感じ ガトリング砲もでて来ますが、本当に使われたかどうかは不明らしい。
      でもガトリング砲ってこんな感じがわかりました。
      まあ ドラマですから・・・

  3.  マダム 様
     回天丸のt数の暫定的な結論をご連絡いたします。
    回天丸は1,678tです。Wikipediaでは710tとしておりますが、その根拠が不明です。710tとのその他の記載本はWikipediaをそのまま転記したものと思われます。
    軍艦奉行荒井郁之助の回想録ではトン数では1,678tとなっているようです。なお同回想録に回天丸のbmトン数1,280tとなっておるようです。bmトン数とは排水量ではなく積載量で計算したものです。 参考書籍「幕末の蒸気船物語」元綱数道著
     荒井郁之助の回想録は国立国会図書館には所蔵されているようですので、いずれ確認に確定t数をご連絡いたします。ちょつと時間が
    かかると思います。
      本郷の主殿
     

    • ありがとうございます。
      さすが一級の主殿さま 回天丸が、甲鉄艦よりも大きかった、イメージだけで甲鉄艦の方が大きいとおもっていました。
      回天丸はお任せして、他のところ進めますネ
      と言ってもお盆でチビ達が来襲しているマダム宅ですwww

  4. マダム 本郷の主殿さま

    ドラマ映像とおふたりのやりとり…いやー、勉強になります!
    マダムのおっしゃるとおりガトリング砲のイメージがわかりました。少し前までミニエー銃などをやっと装備していたところに、この連発はすさまじい威力です。
    この時期、旧幕府軍も新政府軍も船には日章旗を使用していたようですね。洋上でややこしいことになりそうですが。

    キネマっ子

    • キネマっ子様
      日章旗調べたら

      1858年(安政5年)、幕府目付岩瀬忠震と下田奉行井上清直は、日章旗を掲げて神奈川沖に停泊中のポーハタン号に渡り、孝明天皇の勅許が無いまま、日米修好通商条約に調印・署名した。

      翌1859年(安政6年)、幕府は縦長の幟(正確には四半旗)から横長の旗に代えて日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出した。日章旗が事実上「国旗」としての地位を確立したのはこれが最初である。
      wiki

      使われ始めたのは諸説ありみたいだけれど、国旗としての汎用化されたのは上記の通り見たいデス
      ふむふむ

      • 翌年、米国へ向けて出港する咸臨丸が掲げるために、国旗というものを正式に決めておく必要があったからでしょうね。遣米使節団を迎えた首都ワシントンの写真にも星条旗と並んで日の丸が見えます。

  5.   マダム 様

     回天丸のトン数はやはり1,678トンでした。
     関係資料は別送いたします。
     必要でしたら「平成29年版記述問題500語句」及び
    「平成29年版江戸人名控300人」も一緒にお送りしますが
     いかがいたしましょうか?

         本郷の主殿

    • 本郷の主殿様
      関係資料&500語句&300人
      よろしくお願いします。
      楽しみ〜
      送料 次回お会いした時にご馳走しますデス

    • 本郷の主殿様
      資料ありがとうございました。
      裏打ちされた説明は、諸説ありとはいえ正しいと思います。
      回天丸は1678tです、そしてストーンウォール号は1358t 回天丸の方が大きい。
      別資料もありがとうございます、大切に利用させていただきます。
      多謝

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