小栗上野介招魂碑 普門院

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『江戸人物科学史』やっとこさ 最後まで読み終わりました。フーっ

どうしても何だか頭に入らない人もいます。まとめようと思っても全部重要な気がしてまとまらない人物もいます。

その一人小栗忠順(ただまさ)wikipediaより

安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、日本人で初めて地球を一周して帰国した。その後は多くの奉行を務め、江戸幕府財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。

徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えるも容れられず、慶応4年(1868年)に罷免されて領地である上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁。同年閏4月、薩長軍の追討令に対して武装解除に応じ、自身の養子をその証人として差し出したが逮捕され、翌日、斬首[4]。逮捕の理由としては、大砲2門・小銃20挺の所持[5]と農兵の訓練が理由であるとする説や、勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)[6]などが挙げられるが、これらの説を裏付ける根拠は現在まで出てきていない。

戦後、明治政府中心の歴史観が薄まると小栗の評価は見直され、司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記した[7]

大宮普門院にゆかりの碑があると書いてあったので行ってきました。

小栗上野介招魂碑は徳川家達(家里)公 染筆だそうです。

罷免され逃げるように江戸から上州・東善寺に移住する。途中普門院に寄り先祖の供養を頼んだ。

東善寺については 獏先生のブログで詳しく書いてありまする。さすが~~~♪

お墓参り してきました。 そういえば友人の子供は普門院幼稚園に通っていたデス

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明治日本の運命を決した日本海海戦の後、東郷平八郎元帥は自邸に小栗家末裔の当主又一を招いて、上野介の構想した巨大ドッグで十分な整備ができ、思う存分活躍できたと感謝し このとき「仁義礼智信」と揮毫した書2本を贈った。

そのうちの1本が普門院にあるらしいので、お聞きしたところ、住職不在のためわからないとの返答でした 残念。

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自宅から大宮の先まで 結構ありました。7.891k

寒いから歩きにしましたが、走ったほうが落チン・・・

途中ランナーをみながら 走れば良かったと思いましたデス

でも、帰りは電車にのるという 優柔不断なマダムでございました。

 

 



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4 Replies to “小栗上野介招魂碑 普門院”

  1. つゆくさ

    小栗上野介は気になる人物ではありますが、なんだか経歴が多すぎて(私の頭では覚えきれない)わかりにくい人物の一人です。「またも辞めたか御亭主殿」と言う2003年のNHKのドラマがあったようです。
    マダム、歩きとRUNでもうすぐ100㌔!頑張れ~✌

    1. マダム

      つゆくさ様
      そうそう分かりにくい人物ですね。
      小栗旬なら一生懸命になれるのに・・・w

  2. マダムさま
    小栗上野介はすごく興味あり。
    ドラマチックな生涯ので、小説も多いのですが、
    読む余裕がなくて、今に至っています。
    「気ままブログ」で取り上げられている本、
    そうだ、この本も読みたかったのに。
    高尾善希監修の通信講座で睡魔に襲われ、
    他の本も読んでいない現実です。

    1. マダム

      小ツル様
      小栗上野介 小説やドラマ多いんですネ
      【お願い】本を読んで一番面白いの教えて下さいwww
      通信講座 面白そうです 裏山〜

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