2014/8/27(水)
見沼通船堀 閘門開閉実演いってきました。
当日は連日の猛暑が嘘のような気温。
小雨がパラついていましたが、暑いよりはマシ・・・w
10:00~ 13:00~の実演がありましたが、
町会ごみ当番のため 午後に行ってきました。
twitterでつぶやくと、着物仲間が一緒にいく~と表明してくれてました。
見沼新田については 江戸検2級の教科書『江戸諸国よろず案内』
5章新田開発と江戸近郊の農村 と詳しく載っています。
見沼(見沼溜井)は徳川吉宗の命により井沢弥惣兵衛為永が行った新田開発により干拓知れました。享保12年(1727)から翌年13年に行われたこの新田開発事業の際に、見沼に変わる灌漑用水として開削されたのは見沼代用水路です。大事業を成し遂げた為永は、次に代用水路上流び地域と江戸の間に舟運」を行いことを考え、享保16年に東西2本の代用水路とその間を流れる芝川を結ぶ運河を開削しました。それが見沼通船堀です。
見沼通船堀の最大の特徴は、代用水路と芝川との3メートルの水位差を克服するための仕組みです。木製の関(閘門)により水位を調節し船を通すため「閘門式運河」と呼ばれます。通船堀東縁には2基の閘門があります。
さいたま市教育委員会文化財保護課によりパンフレットより
昭和初年の頃の見沼通船堀東縁(ウィキペディア見沼通船より)
八丁堤 八丁橋を通って水神社の脇を入って 実演される 東縁一の関と二の関の間につきました。
八丁堤のあたりに 見沼通船の船頭さん達が住んでいたそうです。
角落(かくおとし)板と呼ばれる板を関枠に取り付けたり、取り外したりいて閘門の開閉をします。
水位が上がると船も楽に通れるようになりました。
水位が低いときは竿で 高くなると櫓をとりだして漕いでました。
通船堀舟歌と踊りをバックに水位がマックスになった所に船が行ったり来たり 最高の見せ場でした。
一の関の角落板をはずし、関内の水位が下がると船は通過し、
芝川へ出て江戸へと向かいます。
行きよい良く水が流れる中、芝川の土手にぶつからずに
直角にカーブを切ることが八丁の船頭の自慢だったそうです。
お勉強の午後になりました。
twitterの友人もいたし 雨もふってきたので 鈴木家住宅を見ないで帰りました。
気候が良いときに 鈴木家住宅(幕府より通船堀の差配を任されていた役人宅)を含め「見沼たんぼ」を歩いてみようと思います。
8月27日(水)・・・見沼田圃・・・行かれて良かったですね。動画を見るとかなりの人出みたいですね。
あまり天気の良い日でないのに、それなりに盛り上がって羨ましいです。
見沼通船堀・・・マダム及び江戸検受験関係の人ならわかると思いますが、閘門開閉実演わたしも実際に行きたかったですよ。本当に、だって・・・情報提供は『わたし』
まあいいです、私は現役の会社員・・・マダムの様な・・・最高権力 大奥・御年寄 の様な身分に成るのは、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、先・・・だけど来年は、自らチャンスメイク・・・(夏休みにして)行こうかな???
殿の情報のおかげで閘門実演見ることかできました。多謝
情報の共有って大切デスね。
閘門実演は、年に1回8月ですが、見沼周辺通船堀、代用水と散歩コースが沢山あります。
是非浦和にいらして下さい。