べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」41回 『歌麿筆美人大首絵』

完成4年 5月 須原屋市兵衛 身上半減の刑

林子平『三国通覧図説』『海国兵談』の出版により 須原屋市兵衛 身上半減の刑(寛政4年5月)史実では『三国通覧図説』絶版 版木没収及び重過料

天明5年『三国通覧図説』(さんごくつうらんずせつ)軍事地理書 日本本土と琉球・朝鮮・蝦夷3国および小笠原諸島の地図5枚に、地理や風俗についての解説が加えられた1冊 海防の必要性を世に広める
後の小笠原諸島帰属問題が争われたときには、有力資料として活用される
天明6年(1786年)脱稿、寛政3年(1791年)刊行
『海国兵談』海防の必要性を説く

須原屋はオロシアの南下による海防の危機を世に伝えたかった

「知らねえってことは 怖い事なんだ 本屋は正しい世の中のために良い事を知らしてやると言う務めがある 源内先生風に書を持って世を耕す」自分は引退すると
「蔦重 頼むぜ 死ぬ前に 浮かれて華やいだ江戸の街をもう一度見たい」
蔦重 俄然元気を出して 来年正月には、山ほど本を出す計画を始る 

つよ 頭痛

瑣吉 なんかイメージ違うんだよね

『婦人相学十躰』「浮気の相」「面白き相」「浄き相」3枚が仕上がった 
試し刷りを重ね 雲母摺(きらずり)にすることとなる 摺師は錦絵に雲母摺なんて聞いたことがないと言う
見たことのない錦絵を出して、歌麿を当代一の絵師にしてえ 蔦屋の名をあげてえ 江戸を沸き返らせてえ

瑣吉が歌麿に向かって 男色か?と尋ねる

歌麿「両刀だよ。俺はそもそも男か女で人を分けたりしねえんだよ「好きな人」と「それ以外」で分けてるもんでさ」

蔦重への思いを抱える歌麿 つよは歌麿を見ていて 瑣吉を追い出すよう蔦重に告げる 蔦重は歌麿の気持ちに全く気が付かない朴念仁 つよは歌麿と向き合い 伝えられない虚しさを問う
「あんたはそれでいいのかい」
「綺麗な蝉の抜け殻になりたい 蔦重と二人で抜け殻を残せるならそれでいい」
「聞いてもらえるってのは 心が軽くなるもんだな」

「俺の今の望みは、綺麗な抜け殻だけが残ることさ」

このシーン 名場面だと思うわ

ていの30の書物の提案から 加藤千蔭を訪ね 書物問屋から おなごにも受けそうな 千蔭流の美しい書の本を出したいと頼みに行く

千蔭先生は田沼派 閉門を受けたとのこと

「艶次郎の折にはお世話になりまして」と あの団子鼻の艶次郎の手拭合の作者は 加藤千蔭
天明四年(1784年)刊の手ぬぐいのデザイン集 手拭合(たなぐいあわせ)
鴨鞭蔭〈かものむちかげ〉は国学者加藤千蔭 京伝鼻の案者

手拭合に似たような小紋雅話が蔦屋から出版される はて 手拭合は山東京伝らが、中心となって作成している 白鳳堂が書肆らしいが白鳳堂がどんな本屋なのか、まだ調べが足りない

この人 書道の腕を買われて「べらぼう」出演らしいが、書を書く場面なかったなあ

寛政4年正月
『ゆきかひふり』 橘千景(加藤千蔭)出版
本文は『源氏物語』の中の手紙を抜き出したもので、それを千蔭の美しい仮名書きで仕立てたもの

おなごの客を取りに行く 蔦重さすがの手腕を見せます

蔦重にとっては どう売るか?を考える 評判の人相見・大当開運先生を店に招き「婦人相学十躰」を売り出す 歌麿も駆り出され、直筆名入れのサービスに参加させられる
これって現代にも通じる手法

加藤千蔭による「ゆきかひふり」は、雲母摺からの発想で 黒地に白の文字で作られた
蔦重は「ゆきかひふり」を尾張の書物問屋・永楽屋に交渉に出かけることとなる

尾張に旅立つ前に、つよは蔦重の髪を結い直す
横浜流星の美しい顔が引き立ちます
蔦重を吉原の駿河屋に預けて行った経緯を話す つよ
ところどころで 頭痛の場面が見えたつよは 自分の命の長さを知っているのだろうか?

「柯理 あんたは強い子だよ・・・」
いつも ババア呼ばわりしていた蔦重が 最後に「おっかさん」

ここも名場面ですなあ〜

定信は 本多らが結託して定信を陥れようとしていること 一橋治済と接近していることを よしの冊子・水野為長が伝える 
将軍家斉も成長し 「将軍補佐」のお役ご免となる日も遠くないと判断しての行動らしい

定信は尾張・徳川宗睦と結託して一芝居打つ 
家斉の長男 竹千代の誕生祝いと称して、将軍補佐・奥勤め・勝手掛を辞任したいと申し出るが、徳川宗睦が、「市中の風紀や朝廷・武家の心得の徹底、いまだ先行きの見えぬことがあまたあり、異国船も姿を現すようになった この難しい状況を乗り切れるのは定信しかいない」と 打ち合わせ通りにことは進み 将軍補佐だけは続けることとなる

一度は尊号の件 光格天皇の父・閑院宮に尊号を送ることを認めないと返答済みだったのにも関わらず、一橋治済の入れ知恵か 再度、認められないかと公卿・正親町公明が江戸城に到着していた 幕府に断りもなく 尊号を送ることが進められていた。

一橋治済に詰め寄る定信 いいように丸め込まれそうになるも、自分にお任せくださいと言い切り 朝廷には尊号を取りやめるように長文を朝廷に送った
やれやれ 一橋治済 色々とやらかしてくれるワ

松平定信の役者に貫禄がないと 12期のおじさま方がおっしゃっていらしたけれど、私はいいと思うんだけどな〜

その直後に オロシアの船がやってきたと 老中部屋に知らせが入る

私たちは 松平定信がどうなっていくか知っているのであります
寛政5年7/23 松平定信 老中罷免


 

今回は、蔦重と歌麿 蔦重とつよ と 史実から膨らませているドラマ要素の強い場面が多く 役者さんてすごいな〜と感じることが多かった 

寛政4年ごろのお話 年代が前後してしまうけれど 辻褄は合ってる
自分で製作した年表に、蔦重が出版したものを書き込んでいるのだが、寛政4年に『ゆきかひふり』を出版し 翌年寛政5年の出版は、再版の黄表紙が多い
でも 寛政5年の7月には老中松平定信は罷免されるのであります

短く簡潔にしたかったのに やっぱ難しいワ

あまりに面白かったので 下の動画掲載

View this post on Instagram

A post shared by 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」日曜夜8時 (@berabou_nhk)




◆◇◆記事を読んだご感想をお聞かせください◆◇◆
  • 素晴らしい (0)
  • 役に立った (0)
  • いいね (0)
  • マダム好き (0)
  • つまんない (0)

Comments

コメントを残す