田沼政権が終わりを告げ 松平定信が寛政の改革へ踏み出す手前(田沼意次は天明8年7/24没)
黄表紙
*『文武二道万石通』(朋誠堂喜三二作 喜多川行麿画)を天明8年正月に刊行
*『鸚鵡返文武二道』(恋川春町作 北尾政美画(のちの鍬形渓斎))翌年 天明9年(寛政元年)正月刊行
この2作の内容がわかっていると、余計にわかりやすい内容となります
今回は『文武二道万石通』をザザッと紹介しておきます
『文武二道万石通』 |
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舞台を鎌倉時代に設定。頼朝(11代将軍家斉)は畠山重忠(松平定信)に命じて鎌倉の武士を文と武に分けさせる。大名や旗本などの武士を文武二道に振り分ける。万石通は 米と糠を分ける精米器具 最後は 箱根七湯の事も大磯のことも、すべては重忠が人を「文」と「武」にふるい分ける計略と知れて、ぬらくら武士たちは頼朝公から「文とも武ともいってみろ」(「うんともすんともいってみろ」とお叱りを受ける |
黄表紙ファン松平定信 一橋治済と対立
天明8年 正月 松平定信の家臣 水野為長(『よしの冊子』(為長が徒目付ら隠密とともに江戸市中の世評などを収集して定信に報告したとされる記録)を書いた人物)が 今年売り出された本を持ってくる。
定信老中首座は大の黄表紙ファンなのでありました
知恵者の忠臣 畠山重忠に定信がなぞらえられたこと、挿絵に梅鉢(定信の紋)があることを喜ぶ 一方締め上げられる「ぬらくら武士」には田沼意次や土山など田沼一派が挙げられていた


「喜三二の神が私を穿って下さった」
「寛容なる蔦重大明神がそれがしを励ましてくれておる」九郎助稲荷「違います」
「蔦重大明神は私がぬらくら武士を鍛え直し、田沼病に冒された世を見事立て直す事をお望みだ」九郎助稲荷「ものすごく違います」
「私は、いっそう励まなければならぬ」
もう、ふんどしの守は大いなる勘違い、蔦重の真意が全く伝わっていませんでした
『文武二道万石通』を読みましたが、ただただ面白く それほど風刺しているとは感じなかった 後に発禁になるのだけれど、それほど幕府にお怒りを持たれるとは思わなかった ドラマでも定信は喜三二や蔦重に対して喜んでいるテイ 『鸚鵡返文武二道』はちょっとマズイと思いましたけどね
やる気満々の定信は、阿波徳島藩主に使える朱子学者 柴野栗山を将軍家のお抱えとすることを提案
定信の要望で柴野栗山は幕府の儒官として家斉の侍講となる
定信はますます勢いづいて文武奨励 江戸府内に弓術指南所を設け、湯島聖堂を改築し徳川学問所とする
7月 江戸城内で田沼意次の訃報が知らされる
定信は田沼の葬列に「投石を許せ」と言う 「これ以降、民は恨みつらみをぶつける的をなくす、思う存分投げさせてやれ」と
水野からの報告書により 家斉の側室が懐妊との知らせ
これから 薩摩の茂姫との婚儀もあるのに、先に側室に子どもができるとは何事かっと 定信は怒る
大奥はその事を定信に隠していた様子
「栗山先生の講義も休みがち、武家の模範となるべき上様が女色に溺れ学問を放り出すとは、武家の手本となるべき、皆がそれを模範とすれば、いかなることとなるとお思いかっ!」将軍も理屈では定信に太刀打ちできない
一橋邸では能舞台で稽古
「上様は御台所となられる茂姫様との婚儀も未だ。先に側室に子ができるなど、島津様はそれでよろしいのでございますか」一橋治済 島津重豪は 側室懐妊は 茂姫との間に早く弧を設ける稽古であったと言い、稽古熱心と 笑う
豪華な能装束が飾られている
質素倹約 吉宗公の世を目指す定信
質素倹約をお願いしたであろうと 治済に告げると 治済は一文も使っておらぬ、島津に出してもらったと言う
最後には、能面を定信に差し出し「これでよしなに」と・・・
治済は、定信に10万石もらったから、せめて少しでも返そうかと思ったと・・・
田安家に一橋治済の五男 斉匡を当主とした 田安10万石をもらったとはこのこと

治済に対してグウの音も出ない 老中首座 定信
歌麿と きよ の結婚
日本橋の耕書堂 『文武二道万石通』が飛ぶように売れる 店はテンヤワンヤ
田沼派はのらくら武士と思われ、後を任された越中守はご苦労が多いだろうと、御家人たちは言う
蔦重の目論む、実は定信をからかっていることなど、全く世には伝わっていなかった。
歌麿の『画本虫撰』 狂歌を添えた 豪華本であるけれど、町方の金持ちなどから、「この値で買えるとは、 倹約令様様ですな」と、これまた蔦重の真意が伝わらない
蔦重と ていが熱心に相談している姿を見て、歌麿は自身が蔦重にとっての相談相手ではなくなってしまった ただの絵描きであると思いしらされる
帰り道、以前 母の男であるヤスを殴り倒した廃寺に雨宿りする そこで歌麿が真っ黒に塗りつぶした絵を拾ってくれた女に出くわす 洗濯女 洗濯を仕事にしつつ、身を売っていた
「きよ 一切 二十四文」 吉原の河岸見世女郎でも100文
きよは耳が不自由だった 歌麿を思い出してくれた きよは拳で、ボコボコに殴る真似をしてくれた
きよの姿をいろんな表情を、さまざまな角度から描いた歌麿 きよが笑うと歌麿も嬉しかった
歌麿は蔦重にきよを紹介 所帯を持ちたいと告げる
石燕先生が亡くなり、石燕先生の借りていた仕事場をそのまま借りたいので、これを買い取ってくれと風呂敷包みの絵を見せる
丸めた絵は全部で12枚ほど 「笑い絵」つまり「春画」だった
見事な「笑い絵」に蔦重・てい・つよ は言葉もなく圧倒される
歌麿はきよとの出会いで忌まわしい過去を乗り越えることができた、新しい歌麿 絵師として真の歌麿が誕生
蔦重はきよに頭を下げて礼をいう 人まね絵から脱却
これから歌麿の錦絵を売っていく ていは歌麿に渡した100両を取り返すと意気込む
「ちゃんとしてえ」生きる欲がなかった歌麿が「ちゃんとしてえ」と言ったことに蔦重は嬉し涙
ドラマ内では吉原にいた頃に拾われた唐丸、ずっと弟のように付き合ってきた歌麿はきよという伴侶を得て、過去を乗り越えて自分の絵が描けるようになった これからどんどん花開いていくのでしょうなあ
歌麿は蔦重からも卒業できたのでしょうかね きよの力は偉大です


恋川春町
黄表紙がバカうれしているけれど、蔦重の真意は伝わらず 逆効果になってしまっている
戯作者たちを集めて作戦会議
次の黄表紙は もう少しわかりやすく からかおう と言う話になり
「田沼様を叩くのをやめるとか」
「ふんどしを落とすつもりが、担ぎ上げちまった」「ふんどしのふんどし担ぎ」
戯作者たちが駄洒落を言い合い皆で大爆笑
朋誠堂喜三二の『文武二道万石通』が売れまくっている 恋川春町が浮かぬ顔 畳の縁を指でゴソゴソ
春町の『悦贔屓蝦夷押領ヨロコンブヒイキノエゾウシ』は売れ行きが芳しくない
『悦贔屓蝦夷押領ヨロコンブヒイキノエゾウシ』源義経が生きていることを前提に 北海道に渡ったという伝説を下地に、田沼政権と蝦夷地密貿易を題材にした作品

春町はひどく落ち込んで 周りは心配する また面倒臭い春町にならぬと良いがと心配する蔦重
場面は春町の勤務先 駿河小島藩松平家の上屋敷 春町は藩の重職についている
当主 松平信義(ノブノリ)が『悦贔屓蝦夷押領』を取り出し とびきり面白かったと褒める
「蝦夷の一軒は田沼様の一派は必死になってやっておったもの。それを越中守になぞらえた重忠が田沼様になぞらえた義経に命じてやらせ、横領した蝦夷を頼朝に献上する。
蝦夷も押領、手柄も押領 よくお叱りを受けなかったものだ」と
春町は殿は わかってくださっていると、自信を取り戻す
蔦重・喜三二・春町が町を歩く 子供が「凧を上げると世の中が治る」と話をしている
春町は、殿から褒めてもらって気をよくして、二人に話す 蔦重、喜三二は春町が面倒くさくならずに済んでホッとする
殿が仰られるには、「俺たちのからかいは通じなかったが、ふんどし守の志もまた、そううまくは伝わらぬのではないかと」
定信の文武奨励で、道場への入門は多くなり『論語』が売れていると言うが、もとから励んでいた者は道場にも入門しない、『論語』を買ったりはしない 文も武も少しかじってその真髄がわかるという類のものではない 地道な修養を要するものだ。遠からず皆飽きて、やたら武張ったり知ったかぶりをするトンチキ侍を作り出して終わるのではないか
と 仰せであった。
道場帰り袴姿の侍たちに「礼儀がなってない」とお武家様に弓の的にされる商家
吉原で「馬の稽古だ馬になれ」と振袖(新造)や女郎にお馬をやらせた
(上記は、鸚鵡返文武二道に出てきます)
文武に優れた者を作り出そうとしたら、大量のトンチキ侍が生まれちまう これ以上ねえ皮肉でさあね と蔦重
春町の次回作の構想が出来上がりそう・・・
秋も半ば 恋川春町の原稿が仕上がり 蔦重・喜三二・南畝・政演・三和 ていで 原稿を回し読む
「鸚鵡の言葉 泰吉丁(九官鳥)の言葉を勘違いした奴らが皆で凧上揚げたら鳳凰が勘違して出てきちまって、なんだか天下太平の世の中になっちまうってなあ」春町も皆も大笑い
今度はちゃんと からかっているのがちゃんと伝わるでしょう
真っ当にトンチキ侍を生み出しているのは 文武奨励する定信のことだとハッキリわかります
ウーーーーーム
ていが 制止の声を上げる
これは流石にマズいのでは あまりにもおふざけが過ぎますかと 蔦重が現実にも武家の酷い行いが起こっているといい 最後は凧揚げしてめでたしめでたしなんだから良しと
ていと蔦重が言い争うと 春町が さしてふざけておるつもりはないと言う
「ふんどしの思い描いた通り世は動かぬかもしれぬ。だが、思うようには動かぬ者が思わぬ働きを見せるかもしれぬ。ゆえに躍起になって己の思う通りにせずとも良いのではないか、少し肩の力を抜いてはいかがかと 俺としてはそういう思いも込めて描いたものだ」 春町の強い意志が感じられます
しかし ていは納得せず 出せば危ないと言い張る
そこへ次郎兵衛兄さん登場 「越中守さまは、大の黄表紙好きらしい」「前にお屋敷で奉公していた人から聞いたから間違いねえよ 金々先生依頼恋川春町贔屓、蔦屋のことも大の贔屓だって話だぜ」ほんとに 次郎兵衛兄さんは良いところに出て来る
それじゃあ 少しのおふざけなんて 大丈夫なんじゃねえ???
蔦重たちは、本づくりに取り掛かる
定信は栗山先生の助言を受け 各種『心得』を作成 家斉には『御心得之箇条』老中たちに『老中心得』
柴野栗山は 定信の書いた「鸚鵡言オウムノコトバ』を湯島聖堂で講義することになる
恋川春町の『鸚鵡返文武二道』が発刊するのは天明9年(寛政元年)正月
凧が二つ 青空に舞い上がる
耕書堂の店先に『鸚鵡返文武二道』が並ぶ
あがっていた凧の一つの糸がキレる
九郎助稲荷「それは、蔦屋の運命の分れ目となるのです」
ウワーーーーーン これから始まるワサ
蔦重は本当に、ドラマのように 戯作者に本の内容をここまで入り込んで話をしていたのだろうか?
朋誠堂喜三二も恋川春町も 時代の流れで自らが描いたのではなかろうか?
『鸚鵡返』(恋川春町)は『文武二道』(朋誠堂喜三二)をうけて書かれた物 今でいうアンサーソングならぬアンサー黄表紙 鸚鵡返だという説が、全く描かれていなかった
どうだろうまぁ
【おまけ】
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