【葵の残葉】を再読しております。
尾張の徳川慶勝からみた幕末を描いているのですが、写真の技術がお気に入りで多くの画像を残している。
御三家の尾張徳川、幕府と朝廷の板挟み 苦しい立場で、京都守護職の松平容保、京都所司代の桑名定敬は実の兄弟、尾張当主は弟の茂徳
文久4年(元治元年) 慶勝は尾張に戻り 尾張内の「金鉄組」「ふいご党」が水戸の「天狗党」「諸生党」にならぬように足元を固める思いでいる。
元治元年3月 天狗党の乱が起こる
そんな中 慶勝が浮世絵を眺める描写(書中には元治元年7月)
浮世絵「狂斎百狂 どふけ百万編」を持ってこさせる。
お上の目を逃ようとするギリギリの風刺画
進まない攘夷を百万遍念仏(多くの僧侶などが集まり、皆で一つの大きな数珠を廻しながら念仏を唱える法会)
鍾馗は水戸 蝶男は長州、長い数珠の珠を念仏を唱えながら隣に順送りしている
下の生首は近江(井伊直弼か)
タコは骨のない幕府
蝶男の左、紅い衣を着た金の鯱は尾張
慶勝が風刺されている。
真ん中上部の人物たちの顔の文字は、
はんじもののようにみえて
でたらめえなり
めでたけれ歴史人より
書中にあるように、
世相に倦んだ町人たちに人気のあったというこの風刺画
本当に慶勝はこの浮世絵を見ていたのだろうか?
マダムの着眼点が素晴らしい。読みすごしていました。葵の残葉の135ページですね。風刺画や落首は大好きです。また、お会いした時に盛り上がりたいですね。
再読してちゃんと調べました
またお話ししたいデスぅぅぅ
[…] 狂斎百狂 どふけ百万編 […]