何度も挫折しかかりつつ 読了
家老としての野中兼山の仕事ぶりが描かれている。
ただし 小説とはいえ、文中に 口語引用文 それに対する解説 資料 諸説ありの諸説 作者がなぜ諸説の中のその節をとるのか? 文中の人物の出自の説明 余談ではあるが・・・ 付け加えると・・・
と本筋を忘れるほどの、様々なエトセトラが挟み込まれていて 途中から本筋を優先することに・・・www
出自などは、へーーーつながっていると思うだけに留めることにした。
私の知識の中では、これが精一杯
谷時中 野中兼山 山崎闇斎
と 博覧強記のなかの表で覚えた江戸初期の儒学者たち 野中兼山は土佐藩家老であったのにそこは、私にとってはあまり重要視されていなかった。
儒学者というとり 土佐藩家老としての仕事は膨大 寝食を忘れ仕事に打ち込む
自分が正しいと思う道を突き進む
そして 兼山失脚後、男子係累が死に絶えるまで、一族が幽囚される。
恐ろしいほどの憎しみ・・・
内容については膨大すぎて、書こうにもかけない 非力なマダムでございます。
4歳で幽囚された 兼山の娘”婉(えん)”を描く【婉という女】
婉という女
正妻
日陰の姉妹
【婉という女】
婉 野中婉
土佐藩主山内家の家老として、藩政の刷新に辣腕をはふるった野中兼山の娘の一人
辣腕のあまり政敵も多く、失脚し失意のうちに死去。その後の野中一族は、40年間 男子が絶えるまで土佐国西端、宿毛に幽閉される。
婉は当時4歳
40数歳になって赦免され 自由を初めて知る
山崎闇斎の弟子でもある儒者 谷丹三郎(泰山)が、幽閉された地に訪れる
野中兼山の子女を忘れていなかった嬉しさ
学問を学ぶ
作家大原富枝の描き方なのか?曖昧ではっきりしない、当時の資料もはっきりしていないのだが
何だかなーって感じ
【正妻】
野中兼山の正妻 お市
兼山とは従兄弟にあたる
儒学の虜になった兼山は儒学のおしえから、血族の婚姻はならずと、市を本山の本宅に母とともに移した。
が「正妻」のなかでは、ずっと一緒の館にいたように描かれている
【日陰の姉妹】
兼山の娘
寛(かん)婉(えん)将(しょう)
寛と将は、隠居した土佐藩士に嫁ぐ
40過ぎて隠居者に嫁ぎ、妊娠
男子が生まれたらの不安
野中兼山への、ここまでの仕打ち
兼山本人は、科を受けていない
40年間男子が絶えるまで幽閉されるという酷い事態が、物語をつくる。
どれだけ、恐れられたかだ!
コメントを残す