榎本武揚率いる、徳川家臣団は函館で一応 「蝦夷共和国」を明治元年12月 設立させた。
翌明治2年3月に 鋼鉄船ストーンウォール号を奪還しようとする。
そもそも鋼鉄船は旧幕府が発注していたから、奪還は正当だと思ったのかもしれない。
宮古湾海戦で 回天丸が甲鉄艦(ストーンウォール号)に接舷を試みた。しかし小回りがきかず、回天丸は船首を甲鉄艦の横腹に乗り上げるT字形になった。回天丸の甲版は甲鉄艦のそれより3m以上高く飛び移るのはほぼ不可能だった。(幕末・維新P160)
回天丸から甲鉄艦に飛び移ることが不可能だった。ってのがどうしてもイメージできず
イメージとしては甲鉄艦の方がでっかいのではないか?と思ってて 回天丸の方が小さいわけだからおかしいな〜と思ってました。
乗り上げたから余計に高くなっちゃっているっぽい。
これでも乗り込んでいった元新撰組 野村理三郎らは、反撃あって失敗に終わる。
自己満だけど理解できたつもり
面白いyoutube発見 20分で結構わかります。
でも 回天丸からストーンウォール号にすんなり乗り移れちゃってるwww
「万国公法」のセリフがやたらでてきます。
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