iPhone7プラス快適に使っております。が1つ難点。
充電しながらイヤフォンが使えない…
タブレット1台で過ごしていた時期があり、その時に電話通話にBluetoothを使っていたので、引っ張り出して使用していました。
Bluetooth一体イヤフォンは、安いものでも8000円はする。紛失するわ、壊すわで、そうそう買えない。仕方ないので、安いイヤフォンを使えるので以前のものを使っていました。
FBエアロ友達に、異常に安い物を探すのが上手な方がいらして、飲兵衛の彼は飲み屋の安い所を探すのも天才的www
そのお方からの情報で、Bluetoothイヤフォンを紹介してもらいました。
1380円なら普通のイヤフォンと変わらない、無くしても壊しても…
これでウォーキングもrunも草取りもバッチリOKざます。
左カラム ほしい物リストに入れときまっす。
教えてください。
さきほど根津美術館で開催された円山応挙展のなかに「残月牽牛図」というのああり、これには京都の学僧、釈六如の画賛がつけ加えてあります。
倦夜不眠汗蘸肌 夜ヲ倦ミテ眠ラ不、汗肌ヲ蘸(ひた)ス
譙鐘四點欲明遅 譙鐘四點明遅レント欲ス
攬衣立尽笆籬月 衣ヲ攬(と)リ立チ盡ス笆籬ノ月
偶看牽牛破莟時 偶(たまたま)看ル牽牛ノ莟(きょう)ヲ破ル時
この詩は
”明け方、寝苦しい、もう四点鐘がなった、起きるとまだ月は残っている、偶然、朝顔のつぼみが開くのを見た”
で、明け六つの時刻でしょう。しかし、鐘は四つ。
いったいどういうわけでしょう?
現代では「点鐘」は船員用語で、この場合には四点鐘は6時になります。
初めまして、大野様
円山応挙展の図録見たら「残月牽牛図」私も見てましたw 調べましたが、明け六つは鐘6つ鳴るはず(プラス捨て鐘3つ)
下のキネマっ子さん解答の様に、鐘が4つ鳴るじゃなくて 「四点鐘」が鳴ったと解釈するのではないでしょうか???
わからないこと、また書き込みお願いします。
江戸エキスパートの人が見てくれていますので、誰か答えてくれるかも知れません。
私も勉強になりました。
ありがとうございました。
今も昔も航海術において当直は4時間ごと、点鐘は30分ごとだそうでして、0ː00をスタートして0ː30に一点鐘、1ː00に二点鐘…4ː00に八点鐘を鳴らして交代、4ː30に一点鐘…と続けていくと四点鐘は2ː00、6ː00、10ː00、14ː00、18ː00、22ː00のいずれか。つまり明け六つ=だいたい6ː00も四点鐘になります。
漢詩なので「点鐘」で中国らしい情景を描いたのではないでしょうか?
さすが〜キネマっ子ちゃま
ありがとうございます。
文人たちは中国に強い思いがあったんでしょうね、勉強になりました。
「諸説あり」だろうけどキネマっ子さんの解答に納得デス
遅くなって申し訳ありません。
ご教示、多謝。でも納得できません。
1801年に亡くなった京都の僧侶が、船員用語、それも長距離航海船のものを使うとは考えにくいのではないでしょうか?この頃は中国には遠洋を公開する船はなかったのではないでしょうか?
それとも、この時代に、明け六つの鐘のことを”四点鐘”と呼んだ例はあるのでしょうか?
ある江戸史の先生は、「この時代、大きな寺院(六如は京都愛宕山の白雲寺)には僧侶の”おつとめ”のための時刻告知に鐘が使われていた。明け方のおつとめの鐘が4点鐘なのではなからうか」との推察でした。あり得るとは思いますが、六如の詩を読んでいくと、この作家が僧侶の特殊社会の用語を詩に使うことはないのです。文人としての施策に徹しているのです。
また、漢文学の先生は、「中国にならって、〇更」の表現ではないか。四更の鐘(中国では四点鐘?)ならわかるが・・。
でした。
私にはまだ謎として残っているのです。
こんにちは、ネットで調べてみました
古代から室町時代の時刻は定時法の四八刻法および五〇刻法を使っていたようです
1日=12辰刻=48刻=48點=480分(ぶ) 現代の24時間
1辰刻=4刻=4點=40分 現代の2時間
1刻=1點=10分 現代の30分
1分 現代の3分
単位としては、刻・點・時などを使用したようです
ここでは、譙鐘四點欲明遅となっていますから、四點とは明け方の卯の刻でいいのではと思います。
四八刻法では卯四刻 06:30:00となります
一点 一點とは、昔の時刻(漏刻)で,一時(ひととき)を四つに分けたその最初の部分とあります。
これで、答えになるでしょうか???
catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/handle/2324/17911/4_hattori.pdf
には平安時代頃の陰陽道による時刻の記述・告知について述べられています。
「点」は刻を五等分したもの。
漢詩の中で、寅四点を鐘で知らせたとすれば、鐘は夜中でも30分毎に鳴っていたことになります。
漢詩が作られた時は1700年代の末。
京都ではいまだにこのような時刻告知法を採用していたのでしょうか?
「時の鐘」を担当する寺院以外の一般の寺はは、寺の仏事の時刻表示のためにならされた居たようです。晨朝,日中,日没,初夜,中夜,後夜の6回、鳴らされたようです。後夜は今の3時ころなのでしょうか。
それぞれどんな衝き方をしたのか・・・・。
漢詩としての体裁を整え、情景の表現方法と受け取るだけでは不十分でしょうか??
お役に立てなくて申し訳ありません
情景の表現法に「点鐘」の言葉を使うでしょうか。
「点鐘」は船員用語(おそらく三交代で勤務するための鐘です)以外には先に挙げた服部先生の論文中の引用(平安時代の陰陽道)しか私には見つけられないのです。
1880年頃の京都の時刻告知に関する文献はないでしょうか?
tubuさま
勘違いしていました。おっしゃることがようやくわかりました。
「〇点鐘」というのは「鐘が〇回つかれる」との固定観念があって・・。
「卯の刻」のことを「四点」と呼ぶのであれば、「四点鍾」は「卯の刻の鐘」となりますね。
この理解でよろしいでしょうか?
大野様
未消化の回答ですみませんでした。
ついでですが、『江戸の夕栄』という本のp110“江戸と横浜と始めての汽船”に点鐘の表現が出ていました(船舶用語)が、広告に使うということは、一般にも知られていたことなのかと思いました。
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