なぜ 大名火消の櫓は江戸城方向をふさいでいたのか???

夏が苦手のマダムです。

梅雨が明けていないのに既に死んだふりをしていまっする。

江戸検の今年のお題本やっとこさ手に入りました。 『天下大変 江戸の災害と復興』
やっとザザーーーッと1回読みました。

はて どうやって勉強するのか???やんないとねっ

 

質問です
お分かりになる方 資料をお持ちの方 教えてくださいm(__)m

 

『天下大変』p.30 上段

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常火消屋敷は約3000坪あり、高さ3丈(約9.1メートル)の火の見櫓があった。この櫓は四方が開いていて、外囲いの蔀(しとみ)が素木生渋(しらききしぶ 混ぜ物のない柿渋)塗りになている。大名火消の櫓は江戸城の方向は必ずふさぐことになっており、町の火の見櫓と同じく黒渋塗りだった。
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明暦の大火 明暦3年(1657) 以後 定火消が組織されるようになった、定火消は旗本が命じらました。
大名火消は寛永18年の桶町火事反省から寛永20年(1643)に存在していました。

定火消の櫓は4方が開いていて、大名火消の櫓は江戸城方向はふさがれていた。

はて? なぜ大名火消の櫓はお城の方向をふさいでいたのか???

 

少しだけ調べましたが、結局わからないでいます。

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内桜田と外桜田の切絵図 定火消の屋敷 大名火消の屋敷を見つけました。(地図をクリックすると大きくなります)

位置的には城までの距離はそうそう変わらない気がします。

お分かりになる方 資料をお持ちの方 教えてください。

 

 

 



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2 Replies to “なぜ 大名火消の櫓は江戸城方向をふさいでいたのか???”

  1. 本郷の主殿

      マダム 様
     おはようございます。
    懇親会にも出席してください。マダムがいないと寂しいですから。
    ところで上記の質問ですが単純に考えて、敵となるかもしれない大名からの監視を防ぐためという
    軍事上の理由からではないでしょうか。
        本郷の主殿

    1. マダム

      本郷の主殿様
      嬉しいお言葉、ありがとうございます。スレンダーに変身して御目にかかれるようダイエット中ですw (アイス「食べながら言ってるw)そのうち懇親会に出席します。

      軍事上の理由が一番に考えられますよね。
      反旗をひるがえされる可能性がありますから…
      探すと、理由についての記述が見つかりません。今はお題本『天下大変』の勉強に力を入れています

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