大江戸グルメ探訪隊 第三弾
大江戸Frends Line仲間の会で 両国【ももんじや】行ってきました。
Frendsの話題はどういうわけか?震災の話とライオンズでした(謎)
隊長が12月に予約を取ってくれました。次回の探訪の旅の提案も沢山上がりました(笑)
【野獣肉コース 】
猪筋の煮込み
丹波猪肉の鍋
鹿の竜田揚げ
鹿の刺身
熊汁
デザート アイス
どれも味噌味 アクの強い癖を味噌味で和らげているのだと思います。猪の肉は煮込むほど、柔らかくなるそうです。
最後の熊汁だけは、どうしても食べられませんでした。
鹿・猪は美味しくいただけました。
江戸時代の人達は、肉食忌避があったから一応「薬」としていただいていたらしい。
ももんじ屋(ももんじや)またはももんじい屋とは、江戸時代の江戸近郊農村において、農民が鉄砲などで捕獲した農害獣の猪や鹿を利根川を利用して江戸へ運び、その他犬や猿、牛、馬など牛肉、馬肉等を肉食させたり、売っていた店のこと。表向きは肉食忌避があったから、これらを「薬喰い」と呼んだ。猪肉を山鯨(やまくじら)、鹿肉を紅葉(もみじ)などと称した。 猪肉を「牡丹」、鹿肉を「紅葉」と称するのは、花札の絵柄に由来する隠語の説もある。
江戸では両国広小路[1]、あるいは麹町にあった店が有名であった。獣肉を鍋物にしたり、鉄板で焼いたりし食べていたようで、近代のすき焼きや桜鍋の源流と言える。幕末には豚肉(猪肉)食が流行し、これを好んだ15代将軍・徳川慶喜は「豚将軍」「豚一殿」とあだ名された。また、新撰組でも豚肉を常食していた記録が残っている。これら肉食文化は明治初期の牛鍋の人気につながっていった。wikipediaより
17:15に両国駅集合だったのですが、その前にチョッと回向院へ
ねずみ小僧、山東京伝、竹本義太夫 のお墓にお参りしてきました。
「岩瀬醒(さむる)墓」(京伝)左・「岩瀬百樹之墓」(京山)中央、「岩瀬氏之墓(京伝の父)」(伝左衛門)右
本名で書いてあるので、分からずに回向院の方に教えて頂きました。
御朱印頂くのに 思いのほか時間がかかり 待ち合わせに遅刻しました。
すみませぬ<m(__)m>
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