明暦3年1月18日振袖火事

1月18日 今日はセンター試験(次男の受験当時胃が痛くなったのを思い出します)
明暦3年(1657)1月18日、明暦の大火が起こりました。この日の午後2時ごろ、本郷円山町の本妙寺から出火。その火が江戸市中を焼き尽くし、鎮火したのが20日の朝。焼死者が10万人を超える、世界史上まれにみる火事となりました。

火元については諸説あるようです。
【本妙寺失火説】
17歳で同じ振袖を着ることによって亡くなった3人の娘の供養に本能寺でその振袖を火の中に投じたところ、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となったという。
【幕府放火説】
幕府が江戸の都市改造を実行するために放火したとする説
【本妙寺火元引受説】
実際の火元は老中・阿部忠秋の屋敷であったが、老中の屋敷が火元となると幕府の威信が失墜してしまうということで幕府の要請により阿部邸に隣接した本妙寺が火元ということにし、上記のような話を広めたのだとする説。

 

振袖に燃え移った火が原因との認識しかありませんでしたが、諸説あるのですね。
江戸時代最大の大火、明暦の大火を契機に江戸の都市改造が行われた。御三家の屋敷が江戸城外へ転出。それに伴い武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転した。防備上千住大橋のみしかなかった隅田川への架橋(両国橋や永代橋など)が行われ、隅田川東岸に深川など、市街地が拡大した。吉祥寺や下連雀など郊外への移住も進んだ。市区改正が行われた。
市区改正が進んだことを考えると 【幕府放火説】もありなのか???
火元であるはずの本妙寺が大火後も取り潰しにあわず、大火以前より大きな寺院となり、さらに大正時代にいたるまで阿部家より毎年多額の供養料が納められていたことなどが【本能寺火元説】を裏付けるらしい。

以後 防災への様々な取り組みも行われるようになる。

NHKのドラマ「あさきゆめみし」は 天和の大火(天和2年・1682)八百屋お七の物語。
どうも お七の振袖姿が 混乱しちゃいますw



◆◇◆記事を読んだご感想をお聞かせください◆◇◆
  • 素晴らしい (0)
  • 役に立った (0)
  • いいね (0)
  • マダム好き (0)
  • つまんない (0)

コメントを残す