主人が休みに入り、浦和に戻っているので一緒に参加。
早めに行って 近所の楽風(らふ)和風喫茶店でお茶
骨董市をブラブラと散策しました。
テクテクランニングで調神社にはよくお参りしています。
調神社を調べてみました。
ウィキペディア 調神社より
概要
社名の「調」は「貢(みつぎ)」に同じで、調物(= 貢物)を納めるための倉が古代建てられたことに由来する。また、読みは斎宮(いつきのみや)に由来するという説もある。その音から「ツキ」に恵まれる神社として信仰される。また「ツキ」を「月」にかけたことによる月待信仰が古来よりあり、狛犬ならぬコマウサギがいる神社として有名である。
そのほか、鳥居を建てないことになっていることでも有名である。
祭神
主祭神は以下の3柱。
歴史
社伝の『調宮縁起』によれば、開化天皇3年に創建されたとされる。
崇神天皇の時代に伊勢神宮の斎主・倭姫命が参向し、境内に神宮に献る調物を納めるための倉を建て、武総野(武蔵、上総・下総・安房、上野・下野)の初穂米・調の集積所と定められた。この際、倭姫命の命により調の運搬の妨げとなる鳥居や門が取り払われ、現在に至るまで建てられていない。
平安時代中期の『延喜式神名帳』に「武蔵国足立郡 調神社」と記載され、式内社に列している。中世ごろからは「調」が「月」と同じ読みであることから月待信仰と結びつき、兎を神使とみなす兎信仰が行われるようになった。
1337年(延元2年/建武4年)、足利尊氏が一色範行に命じて荒廃した社殿を復興した。1590年(天正18年)、小田原兵乱で焼失したが、徳川家康の関東入部後から江戸時代初期にかけて再建された。
開化天皇は9代天皇
西暦BC157年~BC98年
皇紀(初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の紀年法) 504年~563年
つまり紀元前の天皇 実在しなかった?実在説もあると 神話の中の人。
崇神天皇10代天皇 開化天皇の次の天皇
伊勢神宮の斎主・倭姫命(皇族)が調神社に来て伊勢神宮に献る調物を納めるための倉を建て武蔵野の初穂米・調の集積所と定められ、この時に 調の運搬の邪魔になると 鳥居や門が取り払われた。
平安時代に 調と月が同じ読みで 月待ち(陰暦で月の17日・19日・23日などの夜、月の出るのを待って供物を供え、酒宴を催して月を祭ること)と結びつき 兎を神技と祀るようになる。それで 兎が狛犬の代わりに居る。
室町時代に荒廃した社殿を復興
1590年小田原兵乱で焼失 上杉氏、長尾氏の連合軍と後北条氏によって行われた小田原城の戦いだと思われます、この時に焼失したらしい(間違っていたら教えてください)
江戸時代前期に復興される。
やっと家康が出てきたw
随分昔昔からある調神社 私は知らずにお参りしていました。
調神社7不思議
1. 鳥居がない。(境内へ伊勢神宮への貢物を運び入れる時に邪魔になり鳥居を建てないことにした。)
2. 松の木がない。(一説に弟神須佐之男命(すさのおのみこと)が大宮へ出かけ、なかなか戻って来ないので姉神の月読命(つくよみのみこと)が「もうまつのはいやじゃ」といったのがその理由とのこと。)
3. 御手洗の池の魚は片目になる。
4. 狛犬のかわりにウサギ像が置かれている。(「つき」を「月」と考え、ウサギを神の使姫とする習慣からである。)
5. 日蓮上人駒つなぎのケヤキ。(日蓮が佐渡へ流される途中、難産の婦人のためこのケヤキに馬を繋ぎ、祈ったところ男子を無事出産したので、安産の守護神として今に信仰されている。)
6. ハエがいない。(調神社の祭神が嫌うためとのこと。)
7. 蚊がいない。(ハエと同じ理由。)
御手洗池
本当に片目なのかどうか?は確認できずw
日蓮上人駒つなぎのケヤキ
石碑が立っていますが、切り株になっている方が 馬を繋いだケヤキらしいです(神主さん談)
日蓮上人のケヤキは囲いはありますが、ちょっと荒れ果てている感 残念
着物で中に入りましたが、細かい雑草や葉っぱが付いてしまいましたw
それにしても いろいろなことが分かりました。
これからも テクテクランニングの時にお参りさせてもらいます。