[ありがた山] 新年会

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13:00  浅草 矢先神社集合
誓教寺(せいきょうじ)北斎の墓
下谷神社 江戸時代、寄席興業発祥の地
上野の山散策 寛永寺清水観音堂
15:00 韻松亭

矢先神社

誓教寺 北斎の墓

画像の石碑に刻まれている文字は、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(かつしか ほくさい)の墓石に刻まれたもので、次のように読みます。
​読み方と意味
​「画狂老人卍」
(がきょうろうじん まんじ)
​解説
​この名前は、北斎が晩年(70代半ばから没するまで)に使用していた画号(ペンネーム)です。
​画狂老人(がきょうろうじん): 「絵を描くことに取り憑かれた(狂った)老人」という意味です。死ぬ間際まで「あと10年、いや5年あれば、本当の絵が描けるのに」と言い残したとされる北斎らしい、情熱がこもった名前です。
​卍(まんじ): 北斎が好んで使った記号のような号です。
​この場所について
​この石碑は、東京都台東区元浅草にある誓教寺(せいきょうじ)にある北斎の墓石です。よく見ると、石の中ほどに横に亀裂が入っていますが、これは大正時代に関東大震災で被災した際のものと言われています。

下谷神社・清水観音堂

寄席発祥の地

現在の下谷神社は、明治5年以前は「下谷稲荷社」が正式名称でした。江戸時代、寛政10年(1798)6月に初代山生亭花楽が下谷稲荷社(現下谷神社)の境内で五日間の寄席興行を行いました。これが江戸における最初の寄席興行といわれております。落語自体はもっと前から存在しましたが、それ以前の落語は、身分の高い方の前で一対一で話をしたそうで、寄席の定義というのは一般の人を対象に、木戸銭をとって落語を聞かせることだそうです。

馬喰町で櫛職人をしていた京屋又五郎という人が、山生亭花楽と名乗り「風流浮世おとし噺」の看板を掲げ、下谷稲荷社(現下谷神社)の境内の賭け小屋で、一般の人を対象に木戸銭を取って落語を聞かせました。これが江戸における最初の寄席興行といわれており、寛政の後の文化・文政の時代には百数十軒にも増加したそうです。山生亭花楽の名前の由来は「山椒は小粒でピリリと辛い」をかけて付けられたそうです。山生亭花楽は後に三笑亭可楽と名前を変え現在は9代目です。

平成10年(1998年)寄席発祥二百年を記念して、都内四つの亭席・落語協会・落語芸術協会を始め落語関係者の協力により境内に記念碑が建てられ、同年4月10日、落語関係者二百名参列の下、除幕式が執り行われました。

韻松亭

[ありがた山]オープン後初めての集まり 新年会でした
ゆっくり歩いて 貴重なおしゃべり 美味しい花籠御膳を堪能しました。ところどころに梅も見ることができました

少人数だったので、ゆっくりお話しすることができました 
残念なことに参加者記念撮影を失念 だめだな〜

面白いお話が聞けてよかった やっぱり実際お目にかかるのは大切です 

とりわけ &uさんの 「平家物語・那須与一」暗唱は素晴らしかった
久充哲(くいんてつ)さんのデジタルの知識はすごいです 矢先神社・天井絵の撮影は床にスマホを置いて自動撮影されていらっしゃいました。
スマホで迷ったら 久充哲さんに聞け!
HIROKOさんの母なる大地のごとく、どんな話でも聞いてくださる姿勢、甘えちゃいます 日々の短歌の記録には脱帽でございます

いつかまた、[ありがた山]の集まりを開催したいと思います 次回はオープンに募集しますので 多くの皆さんにご参加いただけたらと思います

ありがとうございました

Comments

“[ありがた山] 新年会” への1件のコメント

  1. 新年会の記録アップお疲れ様、次の企画を考えよう。

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