古契三娼 その2

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【古契三娼】山東京伝著

テキスト 洒落本滑稽本人情本 日本古典文学全集 小学館

三人の遊女上がりの女性たちのおしゃべり

吉原出身「およし」

さる大尽に見受けされて、いずれは御新造さまになるべく囲われている。

下男下女に小僧がつき、1日芝居噺と飼猫の世話。

本来お大尽に見受けされたのであれば、江戸の長屋に住まいを構えるとは考えにくい、ここは山東京伝先生が、三人の遊女出身の女たちのおしゃべりさせるために、この長屋の設定になったのだろうと想像

深川出身「お仲」

深川下木場、鳶の娘 17の時に新子隣深川土橋へ、その後自前となり仲町へ出て、芸者となる。

賭博や句拾い(雑俳の投句を集める男)など、大したことのない男と世帯を持ち 髪結をしている。

おしゃべり好きで他二人を誘う。

(注)によると、深川では遊女を子供と言い、子供が自前になって芸者となる。仲町の芸者のみは遊女と同じく身を売る(花散る里)。芸者は羽織を着たゆえ羽織ともいう。

品川出身「お品」

伊豆大島生まれ、神奈川の宿に売られ、品川宿へ

神奈川在の大百姓の一人息子、神奈川、品川に通い詰めて親に勘当される。年が明けて勘当息子と所帯を持つ。
相州箱根御薬湯を売る。

座敷持ちだっただけあって、世帯のやりくり上手で、綺麗好き気が利く。

吉原・深川・品川それぞれの、遊女たちの髪型ファッション 見聞きしたこと、知り合いの事、店のこと、などが話題に上がる。

幕府公認の吉原はそれなりに、格式高い

CD気安く遊べる、非公認の遊郭である岡場所の深川、品川には幕府の取り締まりが入る。この作品は天明7年発刊 松平定信が老中に就任している。これから寛政の改革で一層規制が厳しくなるはずである。

最後のエポソードは、土地の遊女の背景が窺える。

お品の話(品川)

介(すけ)という客。色男でもないが、何処へ行ってもモテる。モテるもんだから、高慢なことも言う、友人たちが悔しがっていることを、品川松坂屋野風が聞きつけ、「私が所へ連れてきなせへし。をもひれふって見せやしょう」と言う。友人たちは介を連れて野風のもとに・・・
しかし野風は介にゾッコン惚れてしまう。

お仲の話(深川)

黒さんという薄情で醜男 黒さんを お鷹とお蝶が競り合う。
お鷹にギャフンと言わせたいがために、お蝶はイケメンの客忠さんを袖にする。
深川では、色男に代えても金に代えても、子ども(遊女)どうしの駆け引きをする、ご規制で吉原に行った女郎も深川からきた者はそんな風らしい。

およしの話(吉原)

蔵前の客と、お大尽の客が鉢合わせ。大尽の方が金を使うので先に座敷に通していた。
前からの約束の蔵前の客が激怒
松賀屋のはつ嶋さん、この二人の対処の仕方、
大臣の前で
「今夜はぜんてへ蔵前の客人の約束でおりいしたが、約束の事を言しないのは わっちが悪はをした。ぬしもあの客人に悪口されなんしては たちひすまいから、これでぬしのの顔をたてておくんなんし」と指を切った。
指が転がって、見えなくなったので、「これでは気が済いません」と左の指を切ろうとすると、新造や太鼓持ちが止める。
これで、お大尽は一層惚れ込んで、ますます通うようになる。
蔵前の客には指を切った時になくなった指を新造が、蔵前の客に持っていった。
これで蔵前の客も以前より繁々と通ってくるという。

ゆびきりの話は吉原ではよく聞く ゆびきりげんまんの由来は吉原か???

吉原での芸者の格は大体理解できるけれど、岡場所での芸者はどうだったのだろうか?諸説ありすぎで、知らないが故に余計にわからなくなる。
羽織芸者といっても、仲町芸者はみを売るとか・・・
そもそも羽織は着ていなかったとか・・・・

遊女と芸者の線引き、吉原と岡場所での違い、もちろん年代の違いもあるだろうと思う。理解するには難しすぎます。



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