【浮世風呂】リモート勉強会7

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午後の光景(ヒルスギノアリサマ)

盲人の鉢合わせ

座頭二人が流し板で鉢合わせ、お互いに盲人とは知らずに、言い合う。
二人とも座頭ということがわかる、栗の都(いち)柿の都(いち)の会話

生酔の悪戯、座頭の立腹

座頭二人の会話に酔っ払いが加わる

酔っ払いが座頭が湯を汲んだ桶を隠す、何度も隠して、
座頭が「ハテめんような」「ハテめんような」と繰り返す。
これは、狂言からの言葉のやり取りと思われます。

狂言「とぶかつちり」の、またそれを使用した東海道中膝栗毛・三下の掛川の茶屋で座頭二人が酒を飲む場面、北八が座頭の酒を盗んで飲む趣向を利用したものである。

浮世風呂 新日本古典文学体系

狂言「どぶかつちり」
狂言の曲名。座頭狂言。勾当(こうとう)(シテ)と菊都(きくいち)(菊市とも)の2人の盲人が上京する途中、勾当が『平家』を語って聞かせ、しばらく行くと川に差しかかる。渡り瀬を知るため礫(つぶて)を打つと、最初は「ドンブリ」と沈み、場所をかえると「カッチリ」と底に当たるので、勾当が菊都に背負われて渡ろうとすると、通りがかりの者がかわりにその背に乗り渡ってしまう。勾当に呼び戻された菊都は不審に思いながらも勾当を背負ってまた渡り始めるが、深みにはまってずぶぬれになる。寒いので菊都に持たせた酒をつがせるが、これも通行人が受けて飲み、そのうえ2人にいたずらをするので、盲人たちは互いのしわざと思い、けんかを始める。大蔵流では菊都が勾当を倒して入り、和泉(いずみ)流では目明きの存在に気づくが、菊市が勾当を目明きと間違え竹杖(たけづえ)で追い込む。この曲の趣向は十返舎一九(じっぺんしゃいっく)『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』塩井川の場に取り入れられている。

日本大百科全書(ニッポニカ)

狂言見たいと、思っても現代では盲人の話はあまりやっていない様子です。

生酔と座頭の問答

失明の理由について、酔っ払いがからむ

酔っ払いが座頭に、失明の理由を聞く、「疳(かん)の虫」「瘡毒(そうどく・梅毒)「麻疹」と理由は様々
理由を1つ1つ、酔っ払いが違うように解釈して笑いを誘う。
駄洒落やら、文字の読み方違い等・・・
私は、面白さを分からずにメンバーに尋ねて教えてもらう・・・
コレじゃダメだよね〜

「浮世風呂」挿絵
銭湯の午後の光景に、ほこりを落とすために入浴する大道芸人や遊芸人たちの姿があった。視力に障害を持つ人々の仕事のひとつに三味線などを奏し、浄瑠璃などを語り歩くのを業とする者たちがいた、おそらく仕事が終わった後、銭湯などで落合い、労をねぎらったのだろう。そして、背中を洗い合うときに、盥に腰掛け得意の歌を歌ったのかもしれない

深読み浮世風呂 青木美智男

先回も思ったけれど
江戸時代盲人の数がそんなに多かったのだろうか?
少しの病が原因で、盲人になってしまうことがあったのだろうか?
盲人のできる職業を割り当てるなど、人数多かったのだろうな〜

検校(けんぎょう)は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称
検校は、専用の頭巾・衣類・杖などの所有が許された。盲官では、位階順に別当勾当座頭などがあった。

江戸時代に入ると、幕府は盲人が当道座に属することを奨励し、当道組織が整備され、寺社奉行の管轄下ではあるがかなり自治的な運営が行なわれた。時代の趨勢により、平曲はこの時代においては次第に下火になり、代わって三曲つまり地歌・箏曲・胡弓が台頭する。検校の権限は大きなものとなり、社会的にもかなり地位が高く、当道の統率者である惣録検校になると十五万石程度の大名と同等の権威と格式を持っていた。当道座に入座して検校に至るまでには73の位階があり、検校には十老から一老まで10の位階があった。
当道の会計も書記以外はすべて視覚障害者によって行なわれたが、彼らの記憶と計算は確実で、1文の誤りもなかったという。また、視覚障害は世襲とはほとんど関係ないため、平曲、三絃や鍼灸の業績が認められれば一定の期間をおいて検校まで73段に及ぶ盲官位が順次与えられた。しかし、そのためには非常に長い年月を必要とするので、早期に取得するため金銀による盲官位の売買も公認されたために、当道座によって各盲官位が認定されるようになった。
検校になるためには平曲・地歌三弦・箏曲等の演奏、作曲、あるいは鍼灸・按摩ができなければならなかったというが、江戸時代には当道座の表芸たる平曲は下火になり、代わって地歌三弦や箏曲、鍼灸が検校の実質的な職業となった。ただしすべての当道座員が音楽や鍼灸の才能を持つ訳ではないので、他の職業に就く者や、後述するような金融業を営む者もいた。最低位から順次位階を踏んで検校になるまでには総じて719両が必要であったという。江戸では当道の盲人を、検校であっても「座頭」と総称することもあった。

その一方で、官位の早期取得に必要な金銀収入を容易にするため、元禄頃から幕府により高利の金貸しが認められていた。これを座頭金または官金と呼んだが、特に幕臣の中でも禄の薄い御家人や小身の旗本らに金を貸し付けて暴利を得ていた検校もおり、安永年間には名古屋検校が十万数千両、鳥山検校が一万五千両など多額の蓄財をなした検校も相当おり、吉原での豪遊等で世間を脅かせた。元禄7年にはこれら八検校と二勾当があまりの悪辣さのため、全財産没収の上江戸払いの処分を受けた

wiki/検校

浮世風呂 読み終わる頃には、早口で喋る 江戸の言葉を理解し、駄洒落、地口、古典引用などがわかるようになっているだろうか???



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