土浦散策 7/5 午前の部

7/5  以下の日程で遊んできました。

西日本は大雨の様子でした。茨城土浦もシトシト雨 じっとりと汗がまとわりつくお天気でした。

午前中 土浦付近散策

午後 ドライブ

土浦駅 — 牛久大仏 — 筑波研究学園都市 — 筑波山山麓沼田屋 — 筑波山神社 — 筑波駅近辺懇親会

 

土浦付近散策

土浦市

人、ものが行き交う水陸交通の拠点、城下町土浦のにぎわいの歴史が刻まれました。
慶長8(1603)年、徳川家康が江戸に幕府を開いてから約260年の間、外国との戦いも内乱もない時代が続きました。江戸時代に、土浦藩主として最も長期にわたって土浦地方を支配したのが土屋氏です。土浦土屋家二代政直は綱吉以降四人の将軍に仕え、老中在任期間は30年余に及び、関西や東北の飛地分も含めて9万5千石を領有しました。
矢口家住宅  幕藩領主による交通網の整備が進んだのもこの時代です。慶長9年には、江戸と水戸を結ぶ水戸街道が土浦の町の中に通されました。霞ヶ浦、北浦を経て利根川に入り、江戸湾に至る水路も形成され、年貢米や醤油・油・木材などを積んだ船が、53里(約212キロ)をおよそ二泊三日かけて航行していました。

水陸交通の要地であった土浦の商業は発展し、町の中には本陣・旅篭・問屋がおかれ、多くの商家が軒を連ね、江戸と取引を行う裕福な商人も出現しました。この時代の土浦は、野田や銚子とともに醤油の産地として有名でした。
江戸時代は経済的な豊かさを背景に、庶民が文化の担い手となりました。寺小屋による教育が普及し、公家や武士だけでなく庶民が文化を楽しむ土壌も生まれています。色川三中や沼尻墨僊をはじめ多くの優れた学者や文人が活躍した時代です。藩校「郁文館」では、藩士の子弟が学びました。
土浦は、江戸時代に基礎が築かれ、発展を遂げたまちと言えます。交通と産業の発展に支えられ、水戸に次ぐ常陸国第二の都市として繁栄していました。
土浦博物館より

 

亀城公園(土浦市)
本丸と二の丸の一部を整備したもので、一般に「亀城公園=土浦城址」とされる。公園の名は、堀に囲まれる土浦城が「亀城」と呼ばれたことによる。 県指定史跡(第1号)である一方、土浦市街地の公園として市民に親しまれている。

本公園は土浦城址の中心の一部を整備して公園としたもので、堀、櫓門、東櫓、西櫓、霞門などの土浦城の遺構が残るが、園内には土屋神社、聖徳太子堂、ミニ動物園、芝生広場、ブランコ等の遊具もあり、「公園」としての側面も強い。 また、県指定天然記念物である樹齢約500年のシイの木があるほか、春は花見の名所にもなっている。 wikiより

 

土浦城(つちうらじょう)は、常陸国新治郡(現:茨城県土浦市)にあった日本の城。室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。幅の広い二重の堀で守る平城である。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。茨城県指定史跡第1号。 wiki より

 

亀城公園 南側 博物館

博物館前に 石碑が立ち並ぶ 入館料105円(博物館+東櫓内)

東櫓内部は風通しがよく、じっとりした空気のなかでささやかな清涼感を味わいました。

 

土屋 挙直(つちや しげなお)

土屋 挙直(つちや しげなお)は、常陸土浦藩の第11代(最後)の藩主。水戸藩主徳川斉昭の子で、徳川慶喜の弟に当たる。

嘉永5年(1852年)9月19日、徳川斉昭の十七男として江戸小石川の水戸屋敷で生まれる。斉昭の従弟である土浦藩の第10代藩主土屋寅直の養子となり、慶応4年(1868年)5月6日の寅直の隠居により家督を継いだ。5月15日に従五位下・相模守に叙位・任官する。

明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により土浦藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で知藩事を免官された。その後、東京へ移り、内務省御用掛と勧農局事務取扱役を兼任し、下総牧羊場で勤務した。全ての職を辞任した後は、没落していく士族のために農地開発、開拓を積極的に推し進めたといわれる。

明治25年(1892年)10月24日に死去した。享年41。

土屋 挙直 最後の常陸国土浦藩主 なんと水戸斉昭の17男、18男は昭武 7男は慶喜。

昭武は慶応2年に遣欧使節団でフランスの万博に参加、大政奉還後帰国。

明治9年に再度 昭武はフランスに留学している、その時に挙直も動向している。博物館にあった写真はこの時フランスで撮影されたものらしい。

 

午前中 平城跡 土浦城址を見るだけで 汗だくwww

上部地図の土浦まちかど蔵・野村でランチ

江戸時代の砂糖蔵を改装した喫茶店 蔵には折れ釘とツブが バッチリ有りました。

霞ヶ浦と水運で江戸と結び 水戸街道でつながり 発達していた土浦

博物館も 亀城公園も あまり商業主義ではないように感じた。

午前中の散策 結構時間が、かかりました。まだまだ見足りない所があります。

 

13:00 に土浦駅に江戸検12期会世話役3人と合流

 

午後部へ続く・・・



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土浦散策 7/5 午前の部” に3件のコメント

  1. 土浦藩って水戸徳川家とご縁が深い藩なのですね。土屋挙直はキリっとしたなかなかのハンサムさん。
    土屋家のこと知りませんでしたが、藩祖は500俵の旗本から4万5000石に大出世、その後代を重ねて9万5000石になるってすごいですね。
    そしてツブ&折れ釘。さすがマダム、確認なさってらっしゃる。

    1. 土屋藩の御紋 九曜と三つ石畳なんですが、博物館のいろんなものに、この御紋がはいっている。刀剣や茶器 雑貨など・・・
      それが、とってもセンス良いwww
      そんなんで、殿様どんな人だろうと思いました。
      水戸との関わり深いですワ

      なんかアップした時に操作で  画像ギャラリーを消しちゃって・・・再度アップしたのでもう一度見て見て〜〜〜www
      町並み散策はちょっとしたブラタモリ気分でございました。

      1. マダムの写真がいいからかもしれないけど、お洒落な街並みですねえ。
        関東っていつでも行けると思ってじつはほとんどどこも行ってない。秋になったら茨城の旅でもしたいものです。

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