ウォーキング小金井街道

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あまりに、アクセク数が少ないw
まあいいや

7月に入り、走ったり歩いたりに力が入っているのは、ランニングアクセサリーを考える事にも現れてますw

昨日主人の出勤に合わせて家を出たもののお腹痛くて帰ってきました。
ランニングコスチュームのまま、家事をしてーーーー
11時から武蔵小金井のレッスンのため歩いていってみました。(前日武蔵境に行くため武蔵小金井まで歩いたのですが、暑くて夏が終わるまでは辞めようと思った矢先w )

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府中から小金井街道をまっすぐ、江戸時代の人は、5kなんて当たり前に歩いただろう。何か?古いものは無いだろか?とキョロキョロしながら、cxwタイツにレッスン荷物をリュックでしょい、日傘と言う妙なイデタチでございました。

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鰻屋さん

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材木屋さんが街道沿いに3件ありました。
小金井市観光みどころ散歩
小金井市◆小金井の坂 No1 質屋坂 ◆
「前原坂上交差点」「質屋坂」のことが詳しく書かれています。

【歴史】 市道40号線:前原町41・40
この坂道は埼玉県志木から府中へ通じる志木街道の旧道とも呼ばれた。この坂の東側に江戸時代に下小金井村の名主を務めた星野家があり、質屋を営業していた事から「質屋坂」と呼ばれるようになった。
また中途で曲がっているところから「鎌坂」とも呼ばれた。
星野家の裏(現スカイコーポラス)は「質屋の出山」と呼ばれ、豊富な湧水があり、ワサビ田や鱒養殖場があり、大正時代には、水車を動力とする前進社が経営する共同揚枠場があった

バスで帰りましたが、前原坂交差点のところで お墓が見えて「星野家」の墓は別格に立派なのがみえました、
なるほど、星野家は江戸時代の名主だったのですね。

鬼平に小金井が出てきたのを思い出しました。

『鬼平犯科帳』文庫巻2の[埋蔵金千両]

年齢・容姿:56歳。小柄。
生国:武蔵(むさし)国多摩郡(たまこおり)小金井村(現・東京都小金井市桜町あたりか)。

探索の発端:麻布の飯倉片町に住む医師・中村宗仙に、「いまの病気を治癒してくれたら100両でも払う」といったことが、芝・新銭座の表御番医・井上立泉から鬼平へ伝わった。
「100両」という金額に不審を抱いた鬼平が、ひそかに探索をはじめる。

結末:いまは引退して信州・上田の城下で小間物屋を営んでいる〔加納屋〕利兵衛こと、元配下の〔須川(すが わ)〕の利吉を呼んできてほしいと、妾兼女中のおけい(24歳)を迎えにやったものの、中村宗仙の治療によって体調回復のきざしが見えると、利吉のことが 疑わしくおもえてきた。
馬をやとって、みずからの手で千両の埋蔵金を掘り出しに、小金井村の隣の貫井村へようやくにたどりついたものの、金はすでになかった。そのショックで、心ノ臓がとまってしまった。
『鬼平犯科帳』Who’s Whoより

 

小金井街道は府中から小金井よりいも 小金井から北側現在の小金井公園のあたりが、どうも江戸時代は栄えていた様子。上記の鬼平にでてくる、おけいが千両の埋蔵金を掘り返したのも 小金井公園のあたりらしい。

そして 玉川上水がとおってるのも、小金井公園あたり・・・

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東京都水道局より

多摩川本流を走る 玉川上水を走る(上流編)より

玉川上水は多摩郡羽村の堰(セキ)か四谷の大木戸の水番所まで43kがわずか8か月で掘削された。
水流が豊富だったので、青山上水、三田上水、千川上水に分水された。井の頭を水源とする神田上水、元荒川を水源とする亀有(本所)上水と 一時は江戸に6つの情宇井があった。

飲用に適した地下水が得られる掘り抜き井戸を作る技術が発達したため後に玉川上水、神田上水を残して他は廃止される。

歩いたことを記事にするにも結構勉強になりますなぁ~



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